東京地方裁判所 昭和63年(ワ)6004号 判決 1993年8月30日
原告 田中喜美子
被告 近藤晋 外二名
主文
一 被告らは、原告に対し、連帯して金一五〇万円及びこれに対する昭和六二年二月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告に対し、株式会社朝日新聞社東京本社発行の朝日新聞の全国版朝刊社会面に、別紙謝罪広告目録(二)の「一 体裁」の項記載のとおりの体裁で、同目録の「二 広告文」の項記載のとおりの広告を、一回掲載せよ。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、被告らの負担とする。
この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、各自金一六〇万円及びこれに対する昭和六二年二月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、その費用をもって、原告のために、株式会社朝日新聞社(東京本社)発行の朝日新聞の全国版朝刊社会面に、二段抜左右一〇センチメートルのスペースをもって、見出しを二〇級ゴシック、本文を一六級明朝体、被告ら名及び宛名を一八級明朝体の写真植字を使用して、別紙謝罪広告目録(一)記載の広告を一回掲載せよ。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 第1項に限り、仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1(一) 原告は、昭和五六年一二月以来、主婦の投稿誌「わいふ」の編集長を勤める傍ら、「書きたい女たちへ」「講座主婦」「各国女性事情」「妻たちの復讐」等の著作を著している。
(二) 被告近藤晋(以下「被告近藤」という。)は、ドラマの脚本家またはプロデューサーとして著名であり、昭和六一年一二月二五日からは、被告アイ、ヴィ、エス、テレビ製作株式会社(以下「被告IVS」という。)の取締役に就任し、昭和六二年当時は、同社のドラマ制作に携わっていたものである。
(三) 被告IVSは、昭和四七年一一月三〇日に設立され、ラジオ・テレビ番組の企画、制作並びに販売を主な業としている会社である。
(四) 被告株式会社テレビ東京(以下「被告テレビ東京」という。)は、昭和四三年七月一日に設立され、放送事業、放送番組の制作等を業とする会社である。
2(一) 原告は、「目覚め」と題するルポルタージュ(以下「原告著作物」という。)を含む五話の読み物を創作し、これを「妻たちはガラスの靴を脱ぐ」と題する書籍(以下「原告書籍」という。)にまとめて、昭和六一年四月一日、株式会社汐文社から出版した。
(二) 原告著作物の基本となる筋、主たる構成及び個性的特色は、次のとおりである。
(1) 原告著作物は、海外単身赴任を命じられた男の妻である主人公が、夫に同行したいと考えたが、会社の事情で許されないため、同行を実現させようと努力する過程の中で、人間として自立し、成長していく姿を描くものであり、
<1> 日本のサラリーマンには、終身雇用、年功序列の体系の中で、単身赴任を含む転勤命令を絶対至上のものとして受け止めてしまう体質があるが、このような体質は企業側の社員支配を必要以上に増幅させてしまう、
<2> 単身赴任は、これを夫婦の問題として捉えると、夫婦を別離させる極めて非人間的なものである、という原告の基本的な思想を具体的に表現したものである。
(2) 原告著作物の状況設定は、
<1> 主人公の名は「章子」で、章子と夫とは結婚五年目の夫婦である。章子は専業主婦であり、子供がいない。
<2> 夫の勤務先は大手の建設会社であり、夫はサウジアラビアへ単身赴任を命じられる。
<3> 章子は愛することにひたむきな女性であり、これに対し、夫は誠実で穏やかな気質の男性である。
とされている。
(3) その後のあら筋の展開は、
<1> 章子は、夫の赴任先に同行したいと考えたが、会社の事情で許されない。そこで、章子は同行を実現しようと、会社に説明を求めに行き、会社と交渉する。会社側は章子に思い止まらせようと説得するが、章子は納得せず、会社が妻の同伴を認めない理由として上げた点を自ら調査して反駁を加えるなど積極的な行動をとる。その結果、夫の赴任先へ行くことも実現可能な状況になってきたところで、会社が前例となることをおそれて夫を帰国させるに至る。
<2> 夫と章子は相思相愛の夫婦であったと思われたにもかかわらず、夫は章子の行動についていけず、自己の出世にひびくため、次第に章子との間に亀裂が生じる。
<3> 章子は勤めに出るが、家事分担をめぐり、夫との間にトラブルを生じ、章子は、愛によって結ばれているはずであった夫婦が、実は一つの組織であり、「男は仕事、女は家庭」という分業の上に立っていたことを覚る。
<4> その結果、章子は夫と離婚し、他の男と再婚するという結末に至る。
というものである。
3 被告らは、ドラマ女の手記「悪妻物語?夫はどこにも行かせない!海外単身赴任を阻止せよ」の脚本を作成し、右脚本に基づき、岡江久美子、三浦浩一主演のテレビドラマ(以下「本件テレビドラマ」という。)を制作し、これをビデオフィルムに収録したうえ、被告テレビ東京の全国ネットワークを通じて、昭和六二年二月九日午後九時から同九時五四分の時間帯に本件テレビドラマを放映した。
4(一) 本件テレビドラマが放映されるに至る経緯は、次のとおりであり、本件テレビドラマが原告著作物に依拠して制作されたものであることはその経緯から明らかである。
(1) 被告近藤は、昭和六一年五、六月頃、原告著作物を読んだうえ、その頃、原告に対し、そのテレビドラマ化の了承を求め、原告の了承が得られれば被告IVSにおいて当該ドラマを放映するテレビ局を探す旨を申し入れた。
(2) 原告は、放映するテレビ局が決まり、脚本が作られた後に被告近藤から正式な承諾を求めてくるものと考え、その連絡を待っていた。ところが、被告らが本件テレビドラマの制作を完了し、放映の日程も決めてしまった昭和六二年二月七日になって、被告近藤が原告に対し、「ドラマ化の話が決まり、ドラマを制作したので、承諾をしてほしい。」旨連絡し、ドラマ化について事後的に承諾を得ようとした。
原告は、脚本も見ていない状態では承諾できない旨述べて、その承諾を拒絶した。しかし、被告近藤は執拗に承諾を求め、「遠くで愛して」というタイトルのつけられたテレビドラマの脚本を原告宅に持参した。
(3) 原告は、右脚本を検討したところ、原告著作物の最も重要な主題の創造的思想表現を根本的に改変していることがわかったので、翌二月八日、被告近藤に対し、ドラマ化を承諾することができない旨回答した。被告近藤は、原告に対し、「部分的にナレーションを変更する。」「原作の主題が伝わるようなテロップを流す。」「原作者を原告とせず、原告著作物から作成されたことを示して、原作そのままのものでないことを明確にする。」旨述べて、承諾を求めたが、これが拒絶されると、「喜んでもらえると思ったのに」などと横柄な態度で不満を表明するに至り、原告は、同被告の右態度に立腹し、断固としてドラマ化の承諾を拒否した。
(4) ところが、被告テレビ東京と被告IVSは、共同制作名義で本件テレビドラマの制作を既に完了していたのに、原告の承諾がとれないため、当初はドラマの原作者を原告とし、原作を原告著作物としていたのを、急遽その原作者名と原作名をカットして、前記のとおり昭和六二年二月九日に、本件テレビドラマを放映した。
(二) 本件テレビドラマは、その状況設定が、夫と主人公が結婚何年目かが不明である点を除き、原告著作物とまったく同一であり、夫が海外単身赴任を命じられてから赴任先から帰国するまでのあら筋の展開においても原告著作物とまったく同一であるが、夫の帰国後のあら筋の展開としては、主人公が仕事をもち、いきいきと働く姿を描いてはいるが、主人公が今まで「愛」にこだわり過ぎた子供っぽい、未熟な妻であったことを痛感し、夫の単身赴任先に同行しようとしたことは妻としてあるべき姿ではなかったと後悔して、夫に謝り、夫を単身赴任させ、その留守宅を守り、自分の生活を見出したことに喜びを感じるという結末とされているものである。
原告著作物と本件テレビドラマのあら筋、登場人物、具体的な内容に関する表現形式上の同一又は類似部分についての詳細は、別紙対照目録の各該当欄に記載のとおりであり、これを対比すると本件テレビドラマは原告著作物の翻案であることは明らかである。
(三) 以上の事実によれば、被告らは原告が原告著作物について有する翻案権及び著作権法二八条の規定により二次的著作物である本件テレビドラマについて有する放送権を侵害したものである。
5(一) 前記のとおり、本件テレビドラマは、原告著作物の表現形式上の本質的な特徴である筋書きと構成、すなわち、<1> 建設会社の社員がサウジアラビアへの海外単身赴任を命じられ、<2> これを知った会社員の妻が、夫との同行を強く希望し、会社との直談判、他の会社の実情調査等という行動に出て、自力で夫の赴任先に赴こうとし、<3> 妻が夫と共に暮らしたいという愛情と会社側の論理との対立、葛藤に悩み、<4> 会社側は、妻が個人の意思でサウジアラビアへ行く可能性があると知ると、会社の論理を貫くため夫を日本に呼び戻す決定をする、という筋書きと構成をそのまま利用しながら、原告著作物の核心部分である原告の前記2(二)(1) の<1>、<2>の思想を歪めたものである。
したがって、本件テレビドラマは、原告著作物の表現形式上の本質的な特徴である筋書きと構成をそのまま利用しながら、これを翻案し、その一部を改変するなどして、ドラマ化したものであり、原告著作物の同一性を侵害しているものであることは明らかである。
(二) また、本件テレビドラマが、原告著作物を利用して制作されながら、原告著作物の最も重要な思想を根本から歪めるような筋書きとされたことは前記のとおりである。
すなわち、原告著作物の思想は、海外単身赴任が家族ないし夫婦が共に暮らすことを求めるという幸福追求の権利と、それを否定してでも単身赴任させようとする会社(男社会)の管理支配の論理との鋭い衝突、葛藤の中で、主人公がどのように考え、闘うかという生き方に具現されており、会社の論理に立ち向かおうとしない夫とついに離婚するに至る結末は、右思想と不可分の重要な展開であった。
本件テレビドラマのように、離婚しないまま円満解決という結末を迎えるのであれば、右のような鋭い衝突、葛藤の深さが引き起こされることもなく、主人公のすさまじいまでの努力、行動力も出てくるはずがないのである。
このように、様々な問題提起を含む原告著作物を、被告らが、愚かな妻が、自己本位に夫の単身赴任の足を引っ張ったが、最後は後悔して夫に謝り、めでたしめでたしで終わるという通俗的な作品にしたこと、主人公を自立させず、妥協させ、ハッピーエンドで終わらせた本件テレビドラマの筋書きそのものが原告著作物の思想を侵害し、名誉を傷つけ、主人公を冒涜し、ひいては原告を冒涜しているものである。
女性の自立を社会的に訴え、そのために「わいふ」という主婦の投稿誌の編集長をしてきたという原告の声望は原告著作物の思想に顕著に表現されているものであるが、本件テレビドラマは、この思想を通俗的に歪め改変することにより、著作者たる原告の名誉又は声望を害する方法により著作物を利用したものであるから、著作権法一一三条三項により、著作者人格権を侵害する行為とみなされるべきものである。
また、本件テレビドラマは、原告の思想が込められた原告著作物の「目覚め」という表題を「悪妻物語?夫はどこにも行かせない!」と極めて通俗的、揶揄的なタイトルを付けて放映することによっても、原告の名誉と声望を傷付けた。
(三) 更に、被告らは、本件テレビドラマの放映に際し、原告の氏名を原作の著作者として表示しなかったことにより、氏名表示権を侵害した。
6(一) 被告近藤が前記のとおり本件テレビドラマを制作して、被告テレビ東京に放映させたことにより、原告の著作権及び著作者人格権を侵害するについて故意又は過失があることは明らかである。
(二) 被告IVSは、その業務に関して、その取締役である被告近藤が右不法行為を行ったものであるから、民法四四条に基づき、不法行為責任を負うものである。
(三) 被告テレビ東京は、被告IVSとともに本件テレビドラマを共同して制作したものであり、右共同制作行為ないし放映行為が不法行為に該当することは被告近藤について述べたところと同様である。
すなわち、被告テレビ東京は、被告IVSの取締役で、本件テレビドラマの企画、制作担当者である被告近藤が企画提案した内容について、社内の企画会議で協議して内容についての基本方針を示し、これを被告IVSが了解して制作しているだけでなく、その脚本についても、準備稿及び完成稿のいずれをも、担当者がその内容を確認し、手直しの作業にも加わっており、昭和六二年二月初旬頃被告近藤が原告方へ持参した本件テレビドラマの脚本には、共同制作者として被告IVSと被告テレビ東京が連名で記載されていた外、被告テレビ東京の担当者は、撮影現場にも出かけるなど、本件テレビドラマの作品全体が被告テレビ東京の意図するところに適合するようにリードしているのであって、被告テレビ東京は被告IVSと本件テレビドラマを共同制作したものである。
また、被告テレビ東京は本件テレビドラマの制作、放映に関し、原告の承諾を得ていないことを認識していたか、少なくとも本件テレビドラマには原作があることを認識していたのであるから、原作の著作権者の翻案、放送、改変、著作者名不表示についての承諾の有無を確認すべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠ったものである。
(四) 以上に述べたところから、被告らの各行為が各々関連共同していることは明らかである。
7(一) 翻案権侵害、放送権侵害による損害
著作物のテレビドラマ化に当たっては、特に著名な作家の場合短時間ドラマでも一〇〇万円を超える使用料が支払われることがあるが、一般には少なくとも三〇分ドラマで三〇万円から四〇万円の著作物使用料が支払われるとされているところ、原告著作物は六〇分のドラマとして放映されているから、これに対し通常支払われるべき使用料は六〇万円であり、原告は、六〇万円の通常の使用料相当の損害を被ったものというべきである。
(二) 著作者人格権侵害による慰謝料
原告は、被告らの前記著作者人格権侵害行為により、耐えがたい精神的苦痛を被ったが、右精神的苦痛に対する慰謝料は、少なくとも一〇〇万円が相当である。
(三) 謝罪広告
原告は、主婦の自立のために多大な社会的活動を行ってきたものであって、原告著作物を含む原告書籍も原告の長年にわたる活動を信頼し、取材に応じてくれた女性達に支えられて創作されたものであり、原告著作物を含む原告書籍は、昭和六一年四月一日以降広く全国の読者に読まれているものであるから、原告は、取材に応じた女性達や読者に対して社会的責任を有するものである。本件テレビドラマにおける結末は、原告著作物の有する思想を通俗的に歪め、改変したもので、原作者である原告を冒涜し、その名誉と声望を傷つけるものであるばかりか、原告の長年培ってきた社会的信用を著しく損なうものであるから、損なわれた原告の名誉、声望及び社会的信用を回復するためには、請求の趣旨2項記載のとおりの謝罪広告を掲載することが必要不可欠である。
8 よって、原告は、被告らに対し、被告ら共同しての著作権侵害及び著作者人格権侵害による損害金として、各自一六〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年二月九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、請求の趣旨2項記載のとおりの謝罪広告を掲載することを求める。
二 請求原因に対する被告IVS及び被告近藤の認否
1 請求原因1の事実のうち、(一)は原告が主婦の投稿誌「わいふ」の編集長をしてきたことは認め、その余は知らない。同(二)ないし(四)は認める。
2 請求原因2(一)の事実のうち、原告書籍が原告主張の出版社から昭和六一年四月一日発行日付けで出版されたこと及び同書籍中には原告著作物を含む五話が包含されていることは認め、その余は知らない。
請求原因2(二)の事実は否認する。
但し、原告著作物自体が言語構成物としての一編の読み物として創作性を有することは争わない。
3 請求原因3の事実のうち、本件テレビドラマが昭和六二年二月九日午後九時から同九時五四分までの時間帯に、被告テレビ東京により、放映されたことは認め、その余は否認する。
4 請求原因4の事実は否認する。
5 請求原因5の事実は否認する。
著作権法一一三条三項は、原著作物を「利用する行為」があった場合に、その利用方法が、著作者の名誉又は声望を害する方法であることを必要としているが、本件テレビドラマが原告著作物の再現物でもなく、翻案物でもないことは後記被告らの主張に述べるとおりである。
なお、原告著作物と本件テレビドラマは、そのタイトルにおいてまったく異なっているのみならず、作者の表示についても原告が原作者であることを推知させるような名称は一切表示されておらず、物語の筋、その展開、根本思想においてもまったく異なるから、原告の著作権法一一三条三項に関する主張は失当である。
6 請求原因6の事実は否認ないし争う。
7 請求原因7の事実は否認する。
8 請求原因8は争う。
三 請求原因に対する被告テレビ東京の認否
1 請求原因1の事実のうち、(一)ないし(三)は知らない。同(四)は認める。
2 請求原因2の事実は知らない。
3 請求原因3の事実のうち、被告テレビ東京が本件テレビドラマを昭和六二年二月九日午後九時から同九時五四分まで放映したことは認め、その余の事実は否認する。
4 請求原因4(一)の事実は知らない。
本件テレビドラマは、昭和六一年一一月上旬に、被告IVSから被告テレビ東京に持ち込まれた、いわゆる持込み企画であり、その際、被告IVSからは、原告又は原告書籍についての説明は一切なく、被告テレビ東京は、原告書籍又は原告著作物の存在及び内容についてまったく知らなかった。被告テレビ東京は、「ドラマ女の手記」シリーズの一話となることから、他のシリーズ作品とのバランス上、被告IVSと本件テレビドラマについて協議検討したうえ、同月下旬、被告IVSに本件テレビドラマの制作を発注したところ、被告IVSは、昭和六二年一月一九日、制作を完了し、被告テレビ東京に納入した。
本件テレビドラマには、当初から原著者名、原著書名の表示はなかった。
同4(二)の事実は知らない。
同4(三)は争う。
5 請求原因5(一)ないし(三)の事実は否認する。
6 請求原因6の事実は否認ないし争う。
本件テレビドラマは、被告IVSの持込み企画で、被告IVSが制作したものであり、しかも、本件テレビドラマの制作については、被告IVSが一切の権利義務関係の処理を自己の負担と責任において行う約定となっていたのであるから、被告テレビ東京には、本件テレビドラマの制作、放映に関し、なんらの過失はない。
7 請求原因7の事実は否認する。
8 請求原因8は争う。
四 被告らの主張
1 翻案権侵害について
(一) 翻案権侵害の主要事実の欠如
著作権法二七条にいう翻案権は、小説のドラマ化、シナリオの映画化といった代表的例示のように、基本となる原作の筋、仕組み、主たる構成などの内面形式を母体として派生的著作物を作成する行為を規制するものと解されるから、言語著作物たる原告著作物の翻案権又はテレビドラマ化権が侵害されたと主張する本訴において、原告は、少なくとも、<1> その保護対象(保護範囲)を示す具体的事実、すなわち、原告著作物が「小説」に見られるような基本となる原作の筋、仕組み、主たる構成などの内面形式を具有していることを示す事実、<2> その保護資格として、右の内面形式は原告の創作したものであること、<3> 本件テレビドラマの内面形式すなわち、筋、仕組み、主たる構成、<4> 原告著作物と本件テレビドラマの内面形式を対比し、その結果が同一である旨を主張立証しなければならない。
殊に、原告書籍中の各話のように、他人の体験談あるいは体験記(実話)をまとめた労作物の場合には、これに示されている筋、仕組み、主たる構成などの内面形式がどのようなものであるか、それが第三者である体験者の記述表現、内容に比し、原告自身に特有の個別性ある知的内容がどのあたりにあるのか、の二点を明らかにしなければならない。
しかるに、原告は、原告著作物の内面形式(原告著作物の個性的特徴であると識別される筋、仕組み、主たる構成)を明らかにしたうえ、それが本件テレビドラマに再現されていることを対比して客観的に主張していないから、翻案権侵害を根拠づける主要事実を十分に主張していないものであり、原告の請求は主張自体失当である。
これに加えて、原告は、原告著作物の筋が独自の創作である必要はなく、体験談をもとに原告の思想を込めて創意したものである旨主張し、原告著作物の筋が原告の独自の創作ではないことを自認するが、右は、原告著作物の内面形式が原告の創作したものであることを要するという保護資格に関する主要事実を欠いていることを自認するものであって、この点においても、原告の主張はそれ自体失当である。
なお、原告は、別紙対照目録により、その翻案権侵害の主張を基礎づけようとするが、同目録は本件では意味がない。
(二) 原告著作物中の他人の体験記等に由来する部分の創作性の欠如
原告著作物が言語構成物としての一編の読み物として創作性を有することは争うものではないが、原告著作物は、山脇史子の投稿した体験記と同人からの体験取材を原告がまとめたものであり、原告著作物中、山脇史子の執筆になる体験記や同人の体験談に表現されている話の展開と同一の筋、仕組み、構成部分をもって、原告自身の創作であるということはできず、この部分に原告の著作権は及ばない。
この点を敷衍して述べると、以下のとおりである。
すなわち、原告著作物は、もともと雑誌「わいふ」第一五七号(昭和五四年三月二五日発行)所載の「わいふティーチイン・問題提起・評論」欄に掲げられた「海外強制単身赴任」と題する山脇史子執筆名義の体験記(乙第一号証)を素材とし、これをまとめたものである。そして、原告著作物と右体験記とを比較すると、建設会社に勤務する夫がサウジアラビアに単身赴任を命じられ、妻が同行したいと願うが、会社の事情で許されなかったので、同行を実現しようと、夫の勤務先やサウジアラビアに関係の深い石油会社、商社を訪れて実情を尋ね歩き、夫の勤務する会社が単身赴任の理由として挙げる「同国が危険で、女性が暮らせるところではない。」などの事実は真実ではないことを知ったという体験的事実と、会社は家族同伴で赴任する自由を認めるべきであるとの思想は全く共通である。これに加えて、原告自身も、原告著作物を含め、原告書籍中の各話が原告以外の女性の体験談を一つにまとめたものであることを認めている。したがって、前記体験記と原告著作物に共通の体験事実又は思想は原告著作物に特有の個別性あるものではなく、原告による創作であるということはできない。
(三) 原告著作物中の独創的物語性の欠如
(1) ドラマ化権侵害の判断に当たって、最大の問題点は、両作品の表現形式が実質的にみて類似しているか否かの判断であるが、ドラマ化とは通常はドラマの核ともいうべき物語性(ストーリー、筋)の部分を原作から借用して映像化することを意味するから、物語性中の創作的な部分がドラマ化権上保護に値する部分である。したがって、ドラマ化権侵害の有無を判断する場合の「実質的類似性」とは、原作の表現形式のうちから、この「創作的な物語性」の部分を厳密かつ的確に抽出し、その抽出された「創作的な物語性」の部分がドラマの物語性の中に再現されているか否かによって判断することになる。
そして、ドラマにおいて物語性とは、<1> 登場人物における行動、でき事が具体的に描かれていること、<2> 右の行動、でき事が因果関係の連鎖で結ばれていること、<3> 右の行動、でき事を描くことにより、登場人物の感情のうねりが具体的に表現されること、以上の三要素からなっている。
(2) 原告著作物の要素の中には、もともと創作的な物語性と関係がなく、ドラマ化侵害における保護範囲に該当する余地がないものがあり、そのような要素が、本件テレビドラマの中にもあるとしても両作品の実質的類似性の判断にはまったく影響を及ぼさないものである。
原告著作物をドラマ化という観点からみた特徴として、次の諸点を挙げることができる。
<1> 妻の目覚めに関し、作者自身の見解、意見を表明した部分や、登場人物(主人公の章子)が作者に報告するという形で、実在の山脇史子の考え、見解を述べた部分が多い。
<2> 章子等の登場人物に関する行動、でき事を一般的、抽象的に描いた部分や、章子等の感情をそのまま直接表明した部分が多い。
<3> 夫の海外単身赴任をめぐって、実在の山脇史子らが実際に体験、行動した事実をそのまま述べた部分が多い。
しかし、第一に、作者自身や実在の人物が表明した見解、意見の内容部分は、それがどのように優れた、独創的なものであったとしても、まさに表現の内容に属するものであって、著作権法上の保護範囲に該当しないものである。
第二に、登場人物に関する行動、でき事を一般的、抽象的に描いた部分や、登場人物の感情をそのまま直接表明した部分も、物語性が認められる要素を備えていないから、著作権法上の保護の範囲に該当しないものである。
第三に、実在の人物が実際に体験、行動した事実の内容部分は、客観的な事実自体から読み取れる内容であって、もともと著作権法上の保護の範囲内にない。その意味で、ルポルタージュといわれるジャンルの作品は、著作権のうち、ドラマ化権の保護が及ぶ範囲は自ずと狭くなることは否めないが、このことはルポルタージュとドラマとの表現形態上の本質的な違いに由来するものである。
したがって、前記<1>ないし<3>に該当する部分は、ドラマ化権の保護範囲に全く関係のないものであり、原告著作物の中からこれらを除外すると、原告が創作した部分はほとんど残らない。
よって、本件テレビドラマによるドラマ化権侵害の余地はない。
(四) 内面形式における相違
著作権は、複製権であれ、翻案権であれ、当該著作物の再現的利用に係るものであり、当該著作物の個性的特徴である筋、仕組み、主たる構成について再現性のない利用は著作権の規制が及ばないのであるから、あるテレビドラマが、特定の著作物の再現であると認めるためには、少なくとも両者の間に筋、仕組み、主たる構成が共通していることが必要である。
しかし、そもそも、本件テレビドラマは、原告著作物と筋、仕組み、主たる構成を共通にしていないのであるから、原告著作物と本件テレビドラマとは、内面形式(基本となる原作の筋、仕組み、主たる構成など)においてまったく異なるものといわなければならない。右の点を敷衍して述べると、以下のとおりである。
(1) 原告著作物の基本思想は、女の自立のための戦いという見地から、会社側の命ずる単身赴任は、妻や女性に対する蔑視であるとして、企業や世間の常識を告発する立場に立っており、原告著作物は、社会上、道徳上の問題に関する原告自身の主張を宣伝し鼓吹しようとするものであって、いわゆる傾向文学に属しており、主義主張の宣伝という美的以外の目的を追及する思想発表である。
したがって、原告著作物は、言語による構成物であるが、その実質は読み物の形式を借りた論説であり、この点を著作権法上の翻案権の有無及び範囲を吟味するうえで重視すべきである。
原告著作物は、原告が、前記の基本思想を普及宣布することを目的として、原告が聴取した第三者の体験談を素材とし、章子という主人公が、その体験経過(夫の海外単身赴任によって生ずる妻の悩みと、その真因としての男社会の不合理の発見及び妻の座に対する抑圧への抵抗等)を筆者へ報告するという形態にまとめ、読み物としたという表現形式を採用しているから、その構成形式は、原告が体験者である章子から聞かされたことを、でき事の順序に従って記述しつつ、所要の個所に原告の問題意識、たとえば企業側の社員支配、妻の地位に対する評価の不当性などを開陳するというものであり、登場人物のみの行為の連鎖ではない。
これに対し、本件テレビドラマは、右に述べたような第三者の原告に対する体験報告という筋立てではなく、主人公等の行動自体を表現したものであって、その内面形式においてまったく異なるものである。
したがって、原告が、原告著作物の筋立てを請求原因2(二)のように解することは、前記のような原告著作物の構成形式を無視するものであって、とうてい許されないものといわなければならない。
(2) 仮に、原告著作物に表れた主人公の思想、行動自体に着眼し、このレベルにおいてあたかも小説のような一個の物語を読み取りうるとしても、原告著作物と本件テレビドラマとは、サウジアラビアに単身赴任を命じられた会社員の妻が、夫に同行したいと願うが、会社の事情で許されず、夫の赴任地に赴こうとして様々な努力、働きかけを試み、悩む、という状況設定が共通ではあるものの、以下に述べるとおり、<1>その根本思想ないしテーマの点、<2> 両者の作品における主人公の人物像、主人公が対立、葛藤する対象の違い等の差異など、構成、展開の点のいずれの側面から検討しても全く相違しているのであるから、本件テレビドラマは、被告近藤らの独自の創作活動の成果であって、原告著作物とその内面形式に共通性はなく、原告著作物の二次的著作物という範囲を超えたものであり、いわゆる純創作の域にあるものであることが明らかである。
ア 原告著作物の基本思想ないしテーマは、女性の自立のための戦いという見地から、会社側の命ずる単身赴任は、妻、女性に対する蔑視であるとして、日本の現代の企業人事、世間の常識を告発しようというものであって、原告著作物は、筆者のかような主義主張の宣伝を追求する思想発表とでもいうべきものである。したがって、原告著作物は、その「目覚め」という表題に表されているように、転勤が家庭崩壊をもたらすことに頓着せず、夫を妻から引き離すという日本の企業の非人間性と、これを当然視する日本人サラリーマンの屈辱的体質、並びに男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的な役割分業観に対し、妻が「目覚め」ていき、自立した女として体制に抵抗する実例を示し、また労働によって社会の中に自分自身の位置を確立するための戦いの必要性と喜びをアピールすることを眼目とし、これを主人公の体験形式で記述しているのであって、右根本思想の論理を顕現し、これを志向する女性を励まし勇気づけることに力点が置かれた表現とされており、それが故に、登場人物の造形、行動及び情景の描写は、いわゆる文芸作品のようなディーテールを欠き、類型的表現に止まっているのである。
これに対し、本件テレビドラマの基本思想は、現代日本、殊に一九八〇年代の日本の活発な産業活動を誇る社会において、日本の企業、殊に建設業の発展途上国への開発活動が進行し、海外へ単身赴任する社員が多くなっており、その妻たちが様々な悩みを抱くに至っているという社会の現実を踏まえ、海外単身赴任の必要と仕組みを基本的に肯定したうえで、いまだ世事に疎く夫や周囲の人たちの庇護の下にある妻が、夫の海外単身赴任等の事態に悩みつつも、夫との愛の絆の中で、常識の立場をはずすことなく、夫の真情を知って、周囲と調和し、単身赴任者の妻として生きてゆこうと決意するという形で悩みを克服し、更に強い愛に結実するに至ることを如実に描写することにより、夫婦愛の苦しみと喜びを番組視聴者に情感として訴えたい、という点にあり、いわゆる体制批判や女性運動を志向するものではない。
このように、原告著作物と本件テレビドラマとは、その基本思想において、まったく異なっているものといわなければならない。
イ 原告著作物の筋、構成及びその展開は次のとおりである。<1> 建設会社に勤務する夫がサウジアラビアに単身赴任を命じられたため、その妻章子が会社に働きかけて自分も同行したいと申し出るが拒否される。<2> 章子は、夫の出発後、「わいふ」編集部に赴いてその不当性を訴えるが、その他の女性グループの反応は鈍かった。<3> 章子は、夫の会社に再び出かけ、様々な努力、働きかけを試み、孤立無援の戦いに踏み出した。会社側は、治安の悪さを理由に章子の説得に当たったが、章子を説得し切れないとみるや、夫に帰国命令を下し、章子は別れてから六ケ月半後に夫を取り戻した。<4> しかし、章子と夫との間には亀裂が生じ、章子が就職したことが破局の直接的なきっかけとなる。章子は、次第に仕事と家庭の両立が困難な状況になり、夫婦間の溝は深まり、離婚するに至る。<5> その後、章子には新しい恋人ができたが、その男とは結婚の形はとらず、仕事と生活が共有できるパートナーになろうとし、自立の道を歩む。
すなわち、原告著作物(正確には、右著作物中、原告が引用する第三者の体験談部分である。)においては、夫の海外単身赴任を契機に、ある女性が現代の企業社会の中で、既成の結婚観にとらわれ、不当に抑圧されている妻の立場に気付き始め、社会的存在としての自覚を持って、これを変革しようと社会的な自立へ踏み出している過程が描かれている。その構成のうえでも、その導入部では、主人公は、妻という社会的存在に何も疑問を抱かない「眠り」続ける女性であったが、展開部においては、夫の海外単身赴任を契機に、主人公は、妻を支配する会社と激しく葛藤、対立し、会社に対し著しい屈辱を体験する過程が描かれ、終結部においては、会社が妻を支配しているという事実を認識し、妻という社会的存在に目覚め、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観に染まっている夫と離婚し、自立への道を歩み始める、とされているものである。
これに対し、本件テレビドラマの筋、構成及びその展開は、次のとおりである。<1> 建設会社に勤務する夫がサウジアラビアに単身赴任を命じられたため、その妻が会社に働きかけて自分も同行したいと申し出るが拒否される。<2> 妻の立場に理解を示して援助してくれる先輩の女性などもいるものの、妻は、夫の会社に再び出かけ、様々な努力、働きかけを試みる。会社側は、治安の悪さを理由に妻の説得に当たったが、妻を説得し切れないとみるや、夫を一時帰国させる。<3> 夫も、会社と妻の板挟みになり悩むが、一時帰国した際、社宅の隣人の妻が単身赴任者の妻に甘んじている風を装いながら、密かに浮気をしていたため、事件を引き起こし、夫もこの事件に巻き込まれて負傷する。<4> この事件を通じて、妻は、夫が赴任先で解決法を模索していたこと、隣人の妻がその夫の支えになっていなかったこと、夫がいかに自分を愛しているか等を知り、気持ち良く単身赴任者の妻として生きていこうと決意する。
すなわち、本件テレビドラマでは、現行の体制批判を志向するものではなく、その体制を前提とし、ある夫婦、殊に結婚生活上に生ずる様々な困難に調和的に対応する経験に乏しい妻の場合、海外単身赴任に直面することによってその夫婦の関係がどのように変化したか、夫婦愛の危機と更に強い絆の誕生という解決に至る様子を妻の立場から夫婦愛の物語として描いたものであり、その導入部においては、主人公は夫に甘えん坊の、まだ子供である妻とされ、展開部においては夫との海外単身赴任をめぐって夫と激しく対立し、葛藤するが、その過程の中で、自分の自己中心主義に気付き、終結部においては、夫の立場を理解する大人の妻になる、とされているのである。
このように、原告著作物と本件テレビドラマとは、その主人公のキャラクター、物語性の本質が異なっている。
(五) 本件テレビドラマ制作の経緯
被告近藤は、後記3のとおり原告から原告著作物のドラマ化の承諾を得た後の昭和六一年五、六月頃、原告著作物のドラマ化の企画案をあるテレビ局に打診したけれども、同テレビ局は、被告近藤の企画案のストーリーが、視聴者である主婦層から主人公が身勝手な女性であるとの反発を招く恐れがある等の理由で難色を示し、被告近藤の働きかけは効を奏さなかった。
しかし、被告近藤は、原告書籍中の各話をテレビに登場させたいと念願し、当時、被告テレビ東京から被告IVSが受注していたドラマ「女の手記」と題する番組枠の連作シリーズの一作品として、原告著作物のドラマ化を企画して提案した。しかしながら、被告テレビ東京も、前記テレビ局と同様に難色を示した。
そこで、被告近藤は、原告著作物をドラマ化しても民間放送局のテレビ番組としてはテレビ局の受入れの見込みがない現実に鑑み、昭和六一年一〇月中旬頃から構想を新たにすることとし、原告著作物に表れている体験事実、すなわち、現代日本の海外単身赴任、殊に発展途上国へ進出する建設業界のサラリーマンの妻が当面する悩みを題材として、その夫婦愛の苦しみと喜び(心情)をテーマにドラマ番組を制作することを企画し、メインスタッフ(監督山本厚、脚本大石静こと高橋静、プロデューサー被告近藤等)を決め、被告近藤から従来の経緯と新構想を説明し、打合せ作業に入り、前記大石静は脚本執筆を進める一方、サウジアラビアへの単身赴任経験者に対する詳細な事情聴取を重ねるとともに、脇役の人物造形のため、料理グラビア専門スタイリストにも取材活動を行った。右脚本は、二回以上の改稿を経て決定稿に至り、被告近藤らは、同年一二月一〇日頃からオールロケで撮影を進め、同年同月下旬ころ、仕上げを完了し、本件テレビドラマが完成された。
以上のような被告らの本件テレビドラマ制作の実情からすれば、本件テレビドラマが、終始、原告著作物から独立して独自に企画、構想、取材、脚本執筆の作業を実施されたものであることは明らかである。
なお、被告近藤は、原告が本件テレビドラマの原作者ではないのに、本件テレビドラマの制作の過程において、原告に、ドラマのタイトルに原告の氏名を表示することについて承諾を求め、あるいは謝礼を持参するなど、原告に本件テレビドラマの原作が原告著作物であるとの誤解を与えかねない行動をとったことがあるが、これは、被告近藤が、原告書籍中の一連の作品を気に入り、今後も引き続いて女性の自立をテーマとし、辛口のドラマの原作としてこれを是非とも使いたいと考えたにもかかわらず、テレビ局の意向でこれがかなわなくなったため、原告に対するお詫びの気持ちもあり、また今後とも緊密な関係を維持したいとの思いから、可能な限り誠意を尽くそうとしたものである。また、素材として原告著作物を参考にするに当たっても、主人公の名前や赴任先など、個々の情報について可能な限り、本件テレビドラマの中に取り入れるようにしたものである。
2 著作者人格権について
本件において、翻案権(ドラマ化権)侵害が成立しない以上、同一性保持権の侵害など、著作者人格権の侵害に係る原告の主張は、失当である。
また、本件テレビドラマのタイトル表示において、原告著作物名や原告の氏名を表示しないことは、原告が決めたものである。この点についての経緯は、次の3に記載のとおりである。
3 包括的承諾について
(一) 被告近藤は、被告IVSの常務取締役として、テレビドラマ番組の受注、制作に携わっていたところ、たまたま原告書籍を読み、これに感ずるところがあって、昭和六一年四月下旬頃、原告に対し、原告書籍をテレビドラマに利用することについて承諾を求めた。
その際、被告近藤は、原告に対し、ドラマ化には諸種の手法があることを説明し、原告書籍をドラマに利用するについては、原告書籍中の特定の話に限定したり、ドラマ化の手法を限定することなく、承諾することを求め、原告も、右ドラマ化について、一切を被告近藤に一任するとして快諾した。
(二) その後被告近藤及び被告IVSは前記1(五)のとおり本件テレビドラマを制作したが、被告近藤は、昭和六二年二月初旬頃、原告に会って、その後の経過を説明するとともに、タイトルの表示方法について資料提供者としての原告の意向を確認した。原告は、一旦は、本件テレビドラマが原告著作物の趣旨に合致しない点に不満を表明したものの、被告近藤の前記のような事情を考慮して、「コペルニクス的発想の転換」として、被告IVSは原告と無関係に本件テレビドラマを制作して放映したことにすればよい、原作者の表示はせず、題名も原告書籍とは無関係なものとして放送されたい旨言明した。
被告近藤は、原告の右発言を被告テレビ東京に伝え、その結果、本件テレビドラマは、前記の日時に、放映されたものである。
(三) 以上のとおりであるから、原告は、原告著作物のテレビドラマ化に関し、包括的に承諾し、かつ、本件テレビドラマのタイトルに原告の氏名や原告書籍、原告著作物名を表示しないことを承諾していたものである。
五 被告らの主張に対する原告の認否
1(一) 被告らの主張1(一)は争う。
(二) 被告らの主張1(二)、(三)は争う。
そもそも、一つの作品を著作物性のある部分とそうである部分とに分けること自体がナンセンスである。
また、原告は、原告著作物の筋が独自の創作にかかるものであると主張しているのではなく、体験談をもとに、原告の思想を込めて創意したものであると主張しているのである。すなわち、原告は、主婦である女性の自立への過程を描くことをテーマとして、体験談をもとに原告著作物を創作したのであり、作品が著作物性を有するためには物語の筋、構成がまったく架空のものである必要はなく、著作者の個性が著作物の中に何らかの形で表れていれば足りるから、原告著作物は創作性を有している。
もともと、山脇史子の投稿は、字数一五〇〇字足らずのものであって、夫が海外単身赴任を命じられ、出発したが、会社が妻の同行を許さないことに対する疑問が記述されているにすぎず、原告著作物とは、内容、構成及び思想を異にしていることは一見して明らかである。原告は、山脇の体験談を聞き、雑誌「わいふ」への投稿を勧めてこれを掲載したが、これをルポルタージュにまとめることとし、あらためて山脇から事情を聴取したうえ、これをもとに原告著作物を創作したのであって、原告著作物の筋立てはいわゆるフィクションではないが、原告著作物には創作性がある。
また、被告らは、右投稿を利用したのではなく、原告著作物を利用して本件テレビドラマを制作しているのであるから、右投稿があることを根拠に原告著作物の創作性を否定できない。
著作物につき「自由な利用」が許される公有の部分は、歴史上の事実や口碑伝説の類など一般的淵源から生ずるものに限るのであって、原告著作物はこれに該当しない。被告らのような見解をとれば、およそルポルタージュ形式の作品には著作権の保護が及ばないという不当な結果になりかねない。
(三) 被告らの主張1(四)は争う。
(1) 翻案権の侵害がないといえるためには、本件テレビドラマが原告著作物に依拠していないこと、すなわち、原告著作物に対するアクセスがない場合か、あるいは原告著作物をヒント的に利用したにすぎない場合に限られるというべきであるが、被告らは、被告近藤が、原告著作物を読み、これを利用してテレビドラマ化を企画したことは認め、原告著作物に対するアクセス自体はこれを認めているのであるから、本件テレビドラマが原告著作物に依拠していないことを主張する余地がない。
(2) 著作物の翻案は、著作物の表面的、具体的表現それ自体を利用するものではなく、当該著作物に具体化されている著作者の思想、感情の表現形式としての基本的な筋、構成等に依拠し、右の基本的な筋、構成等が著作者の思想の表現形式として意味をもち、これを利用するものである。本件テレビドラマも、原告著作物に関して原告が有した思想、創作動機と密接に結びついた筋、基本的構成等をそのまま利用したものであるのみならず、主人公の名前、台詞の言い回しなどの個々の表現においても原告著作物と本件テレビドラマとは酷似し、相違点といえば、原告著作物にない登場人物(井上美貴とその家族など)を加えたことと、結末が異なることの二点に尽きるのであって、登場人物の追加はテレビドラマ化という翻案に通常伴う改変にすぎないし、結末の相違は、被告近藤において、テレビ局の意向によりこれを変更せざるを得なくなったものであって、その内容、事実経過の何れの面から見ても、本件テレビドラマから原告著作物における本質的な特徴を直接感得しうるもので、とうてい原告著作物を換骨奪胎してまったく別のものを作ったとはいえないものであり、翻案権を侵害するものというほかはない。被告らが原告著作物と本件テレビドラマとの共通の事項であると主張する部分のみをとってみても、主人公が主婦という立場の弱さを自覚する契機となる重要な事実なのであって、原告著作物の基本思想と密接に結びついたものである。
(3) また、被告らの主張が、原告著作物をヒント的に利用したにすぎないとの趣旨であるとしても、他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として感得させるような態様による利用は、他人の許諾が必要であるというべきであるところ、本件テレビドラマが前記の基本的な筋、構成等を利用していることは明らかであって、ヒント的利用ということができず、翻案したものであることは明らかである。
(四) 被告らの主張1(五)は争う。
被告らは、制作過程における独自性を主張するが、原告著作物と本件テレビドラマの脚本における台詞が酷似していることからしても、原告著作物を参照しながら作成されたことは明らかである。被告近藤も本訴の提起に至るまで、終始、原告を本件テレビドラマの原作者として扱っていたのである。
2 被告らの主張2は争う。
小説等からドラマ化されるというような場合、脚本により原作品の外面的表現形式に一定の改変が加えられるのが通常であるが、翻案について承諾を得ているとしても、右の意味における改変の限度を超えて、その内面的表現形式にまで原作者に無断で改変を加えた場合には、同一性保持権の侵害に該当する。
3 被告らの主張3(一)の事実のうち、原告主張の頃、被告近藤が原告書籍を読み、原告著作物のドラマ化を企図し、原告に対しその承諾を求めてきたことは認め、その余は否認する。
原告は、包括的承諾があった旨主張するが、被告近藤は、昭和六一年四月に初めて原告に電話をかけて来たもので、原告と同被告はそれまで面識がなかったのであり、しかも、この時点では原告書籍のどの話をドラマ化するかも決まっていなかったのであるから、原告と被告らとの間には、たとえば従来から継続的に著作物に関してドラマ化している等の関係があって、基本的に信頼関係がある場合などのような、包括的な承諾を考慮しうるような基本的関係はまったくなかった。
同3(二)、(三)の事実は否認する。
第三証拠<省略>
理由
一 成立に争いのない甲第一号証、乙第二号証、被告近藤の本人尋問の結果により真正に成立したことが認められる乙第九号証、乙第一〇号証、原告及び被告近藤の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、請求原因1(一)ないし(二)の各事実が認められ(但し、原告が主婦の投稿誌「わいふ」の編集長をしてきたこと、請求原因1(二)及び(三)の事実は原告と被告IVS及び被告近藤との間では争いがない。)、請求原因1(四)の事実については全当事者間に争いがない。
前記甲第一号証、原告及び被告近藤の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、(1) 原告が原告著作物を著作したこと、(2) 原告著作物を収載した原告書籍が昭和六一年四月一日を発行日としてその頃株式会社汐文社から出版されたこと、(3) 被告近藤は、昭和六一年四月中旬頃、原告書籍を読んだことが認められ(右(2) 、(3) の事実は原告と被告IVS及び被告近藤との間では争いがない。)、被告テレビ東京が昭和六二年二月九日午後九時から同日午後九時五四分までの間に本件テレビドラマを放映したことは全当事者間に争いがない。
二 原告著作物の著作物性、創作性について
1 前記甲第一号証、原告と被告IVS及び被告近藤との間では成立に争いがなく、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一三号証、甲第一四号証、成立に争いのない乙第一号証及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、投稿誌「わいふ」の編集長として同誌を主宰していたが、山脇史子が、昭和五三年一一、二月頃、同誌編集部を訪れ、原告に対し、夫が海外単身赴任を命じられたが、会社が妻の同行を許さないことや、同人が会社の右措置に対し強い不満を抱いていることなどを訴えた。原告はその訴えに興味を抱き、山脇に実情を「わいふ」に投稿することを勧めたところ、山脇は「わいふ」に投稿し、右投稿は、一九七九年(昭和五四年)三月二五日発行の「わいふ」一五七号に、「海外強制単身赴任」の表題で掲載された。
(二) 右投稿は、全文一三〇〇字足らずで、事実の経過と山脇の考えが端的に述べられていた。その要旨は次のとおりである。
「建設会社に勤める私のパートナーが火力発電所建設のためサウジアラビアに出発した。二年間の単身赴任である。昨年話が出たとき私も一緒に行けるならという条件を出したのだが、結局、夫は一人で出発してしまった。『会社が許可しないなら、勝手に行ってしまおう』と決心して動き出したところ、サウジは観光ビザによる入国を認めず、会社が直接現地政府へビザの申請をした場合にだけ許可がおりるらしいことがわかった。私は夫の会社に、費用は自分で負担する、ビザの手続だけして欲しいと相談と懇願を続けた。その答えは、サウジは危険であり、女性が暮らせるような国ではないということであった。それならサウジが安全な国で日本女性も暮らせるという資料があればいい訳だろうと、石油会社、商社などを訪問し、実情を尋ね歩いた。その結果は、サウジアラビアはイスラム教の関係で、珍しいほど犯罪が少なく、欧米諸国よりもむしろ安全な国である。現に長期滞在者は家族を同伴し、現地には日本人学校もあるという。女性が住めない国ではないようである。調べているうちに、企業からロンドンなどに留学、転任する場合、期間が一、二年と比較的短期だと単身赴任を原則とする会社がかなりあり、家族が自費で行こうとすると人事関係者から『行くな』という指示が入るという話を聞いた。私は、夫婦は必ず一緒に住むべきであるとは思わない。夫婦がそれぞれに仕事を持って別々の場所で活躍するのは結構である。それでも原則として、転任は家族同伴が本筋で、理由がある場合に単身赴任も認めるとすべきであろう。まして、会社の方針や、事故の時に責任を負いたくないなどの消極的な理由で、自費で会いに行くことまで妨げないで欲しい。」
(三) 原告は、現在の結婚の在り方、内容や制度のもとで本当に男女が幸福に生きられるものかという疑問をかねがね抱いていたが、現在の結婚の内容や制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自分の道を模索している妻達の姿を世に伝えたいと考えるようになり、右山脇の同意を得て、同人の投稿のほか、投稿の前後に同人から聴取した内容をもとにして、昭和五六、七年頃、ルポルタージュ風の読み物として、原告著作物を著述した。
(四) 原告著作物は、原告書籍で四二字詰四四〇行足らず約一万八〇〇〇字の作品で、九章からなり、各章において、主に主人公や夫などの登場人物の会話や行動、あるいはその心理や思考を三人称体で客観的に描写する形式でストーリーが展開されるが、一部に主人公が著者に話し掛け、あるいは報告する形式の部分、著者が一人称で自己の目から見た主人公や夫等の客観的状況を描写し、愛、結婚、家庭、単身赴任、会社の社員支配等についての意見を開陳する部分が加えられた、ルポタージュ風の読物である。
その梗概をみると、第一章では、幸せだった結婚当時を回顧しながら、離婚したことに感慨に耽る現在の主人公が読者に紹介され、第二章では、主人公と元の夫との出会いから幸せな五年間の結婚生活の様子、第三章では、夫がサウジアラビアへ単身赴任を命じられ、赴任するまでの間の、同行を望む主人公と夫のやりとり、第四章では、主人公が事態の解決を女性グループ等の第三者に求めようとしたが、はかばかしい反応が戻ってこなかったこと、第五章では、主人公が、夫の会社に掛け合うが受け入れられず、積極的に他社の実情を調べ、不可能と思われた同国への女性の入国にも方法があると知ったこと、第六章では、主人公が夫の赴任先へ単身で赴こうとし、夫も主人公の後追い入国を受け入れる気持ちになるが、会社は夫を帰国させること、第七章では、夫の帰国後、主人公が就職したこと、第八章では、主人公が、次第に仕事に没頭し、家事の分担を巡り、夫と紛争を生じ、離婚に至ったこと、第九章では、離婚後、再婚した主人公の働く女、自立した生活者としての生活が、それぞれ描かれている。
(五) 原告著作物の内容の要旨を章を追ってみると、以下のとおりである。
(1) 第一章
主人公章子の結婚式の日の幸福な思い、喜びの気持ち、その思いが離婚するまでの七年間続いたことが、章子の言葉を中心に回顧される。離婚も章子自身が求めたことであった。あれほど愛した男とどうして別れることになってしまったのか、自分ながら不思議でならない。
現在の章子は「働く女」であり、三十六歳の女盛り。
(2) 第二章
学生時代、夜汽車の中で偶然に隣りあわせたという二人の出会い。受け身で愛を夢見る娘たちと違い、章子は愛することにひたむきだった。彼が大手の建設会社に就職して大阪支店勤務になり、東京と大阪に離れて住んだときも週に一度新幹線で会いに出かけるのはいつも章子だった。章子の目から見た夫の人柄が、居心地のいい人、いらいらしたり、あくせくしたり、とげとげしたりしたところのまるでない男などと具体的に、好意的に描かれる。乏しい給料と知人もろくにない大阪暮らしであっても専業主婦として章子は幸福であった。章子の夫へサウジアラビアへの転勤命令がでて、二人の生活はくつがえされた。
(3) 第三章
章子は、夫の転勤先には当然妻も同行できるものと考えていた。ところが、サウジ行きの準備として東京本社へ転勤になった頃から状況が明かになりはじめた。妻を連れていく男はいない。前例がない。現地には宿舎がなく、飯場に毛の生えた程度の建物に会社の男達が共同生活を営んでいる。その中で妻と暮らしたいから自分だけは他のアパートを借りて暮らすという男は白眼視される。また、適当なアパートなどとうてい見つかるものではないという。愛し合っている夫婦が会社の命令だからといって、なぜ二年も別れて住まなければならないのか。前例がないなら私が前例になる、そんな会社は辞めてほしい、行くのなら離婚して行って等の夫婦のやりとりの具体的描写。夫婦の「愛」だけをすべてのものとして押しつけてくる妻が夫にはうとましく、転勤命令に抵抗しない夫が妻には飽きたりなく思われる。
妻達は、普通、子どもにそのエネルギーのはけ口を見出す。そして夫は自分自身のかわりに子どもを妻に与えて、家庭から逃亡してしまう。章子と夫との間に子どもはなかった。
生活の中でも食い違いが目立ちはじめ、土曜の夜はマージャン、日曜は朝からゴルフと仲間と遊ぶ夫に章子はついていけない。夫婦の間に溝ができていった。
転勤命令から半年後夫は出発し、妻は独り残された。
(4) 第四章
雨の中を傘も持たずに「わいふ」の編集室を訪ねてきた章子の思いつめた面持ちを、私は今も思い出す。章子は単身赴任を強制する企業の非人間性を弾劾してくれる女性団体はないものかとフェミニストのグループを歴訪したが、女性グループの反応は鈍かった。「自立」が合い言葉の七〇年代の後半に、夫との同居を人生の至上価値とする人妻の訴えが、大きなインパクトを持たないのは不思議ではない。
将棋の駒のように夫たちは各地へとばされる。会社の都合に合わせて夫たちは妻を転勤先に連れていく。あるいは故国に置き去りにする。夫と同じく妻の自由意思も、そこに働く余地はほとんどない。
男も女もこの構造に疑問を感じる人間はほとんどいない。
章子の夫の赴任期間は二年であった。結婚すでに七年の子どものいない妻が、二年や三年の別離を騒ぎ立てる理由がどこにあろうかと会社が考えたのは、こうした日本的風土の中で、当然のことではあった。
(5) 第五章
章子は孤立無援の戦いにふみ出した。
まず出かけたのは夫の会社である。担当の社員は応対に困って、上司を引っぱりだし二人がかりで章子の説得にあたった。サウジアラビアは治安が悪く女性が行ける所ではない。安全が保証できないから、配偶者を連れていけというのは会社としてかえって無責任ということになる。長期間ではないし前例もないから辛抱してほしい。会社の経費の問題ではないという。
サウジアラビアはそれほど危険な国なのか、章子はサウジアラビアに社員を送りこんでいるA石油とK製作所を訪れる。
そこでサウジアラビアは中東のうち一番治安のいい国で、社員を夫婦で派遣している企業はいくらもあること、A石油も社宅としてアパートを確保していることが知らされ、空きがあったら章子達に使わせてあげられるかも知れないとさえ言われる。
建設会社では妻の同伴を認めているところは少なく、商社では滞在期間が長いこともあって同伴を積極的に勧めているらしい。
治安が悪いから女性の入国は不可能だというのは会社側の口実にすぎない。
章子の前に思いがけない難問が立ちふさがった。回教国の女性差別はすさまじい。女性に一人前の人間としての権利を認めていないこれらの国では、仕事上のグループに属していない女性が個人として入国を申請し、単身でビザを得ることは不可能なのである。
幸運なことに、この難問にも解決のきざしが見えてきた。アジア・アフリカ語学院に通ってアラビア語を習い始めていた章子は教師に紹介された航空会社から、書類上の操作で抜け道はあり、女性が単身サウジアラビアに入国することは、実は不可能ではないことを知った。
(6) 第六章
夫の出発後、約半年が経って、妻の同伴を承諾しようとしなかった夫も、自分の力でどうしても来るという彼女の後追い入国にはあえて反対しなかった。ことのいきさつを夫から伝えられた上司は頭を抱えた。
女房一人コントロールできない男にろくな仕事ができるはずはない。妻を渡航させるより、本人を帰国させる方が影響が少ない。本人を帰国させることだ。帰国命令は、あっという間に下り、別れてから六か月半で章子は夫を取り戻した。
(7) 第七章
章子と夫の生活は「別れ」の始まりとなった。
破局が決定的になったきっかけは、章子の就職である。夫が帰国してから半年ほどして二人の住む首都圏の小都市の地域新聞の記者として就職する。なれない記事書きで帰宅時間はめちゃめちゃになり夫よりなおいっそうワーカホリックの名に値する日常を送り始めた。
何が章子をかりたてていたのか。
「ここでいいかげんな仕事をしては女がすたる」という思いはあったがそれだけではない。「彼に置いていかれたときのあの淋しさ、あれは、たんに愛する人がいなくなったという淋しさだけではなくて、ものすごく屈辱的だったんです。明らかに自分が支配される側、ふみつけられる側の人間なんだという事実がはっきり見えてしまったんです。会社が夫を通じて私まで支配している。しかも私が全面的に夫に養われていて、自分自身の職業を持っていないということが、自分の立場をいっそう弱くしている、そういうことが肌でわかった感じだったんですよね」
日本のサラリーマンは、終身雇用、年功序列の体系の中で、転勤命令を絶対至上のものとして受けとめてしまう。こうした日本人サラリーマンの体質は、企業側の社員支配を必要以上に増幅させてしまう。
章子は無意識のうちに、夫の内面に、外部から襲いかかる屈辱よりもさらに屈辱的な、会社人間の体質を感じとっていた。さらにその夫の心の中に、妻の自分というものが、どれほど部分的な場しか占めていないかということを感じていた。
(8) 第八章
章子の健康な本能は、知らず知らずのうちに、自らの生活を立て直すただ一つの正しい方向に彼女を連れ出していった。自立した女性として生きる道。労働によって、社会の中に自分自身の位置をとりとめる道。
夫が仕事から帰ってきても、妻がまだ帰宅していないときがある。疲れきって、掃除はおろか、食事の支度さえできていないときもある。夫は、毎晩のように章子に退職を要求する。章子は、夫の家事分担を要求し、夫はしぶしぶ手伝うようになるが、ある日夫がふと洩らした「こんなことをしていたら、ぼくはダメになってしまう。」というひとことが妻を逆上させた。
「なぜあんなに仕事にのめりこんだのか自分でもよくわからないんです。でもやっぱり仕事は面白いんですよね!」と章子はいう。
仕事をしてみて初めて、妻は夫にどれほど不可能な要求をつきつけていたかを思う。仕事とは、単に生きるための金を稼ぐためだけでなく、自己確認と自己表現の喜びを伴う営みであることを彼女は知った。男にとって仕事がどれほどの生きがいとなりうるものかを知った。仕事の絆を断ち切って愛する異性との生活にのみ生きることがいかに不可能なことであるかを知った。しかし、このことを知った妻に、夫はかって妻が自分に要求したように、ただ自分だけのために生き、社会との絆を断ち切ることを求めて来る。男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的な役割分業観が男たちの血の中にしみついている。
章子と夫は同居を解消した。
(9) 第九章
章子は今、一歳年下の別の男と暮らしている。
「愛する男」でなく「パートナー」だと彼女はいう。
現在の彼は、妻が働く女であることを認めている。それだけでなく、実際に家事を平等に分担し、妻よりもむしろ力ある自立した生活者だ。
「昔と今と、どっちが幸せなのか、わかりません」章子は微笑みながらいう。「あのときはあのときなりに“幸せ”ではあったのですけれど、今振り返ってみると、前の夫との七年間は、なんだか長い“眠り”であったような気がするんです。」
章子の“眠り”は覚めた。彼女は、たしかな足どりで、明るい真昼の光のなかを歩みはじめたのである。
2 右に認定の事実によれば、原告著作物は、原告が山脇史子の投稿やそれとは別に同人から取材した事実を素材に、会社の命ずる海外単身赴任が一組の夫婦に与えた波乱、夫の任地への同行を望む妻の積極的な行動とその過程で明かになる海外単身赴任の実情、企業が社員のみでなくその妻をも支配している状況、支配されている自分に屈辱を感じ、働く女として自立しようとする妻と、夫は仕事妻は家庭という伝統的役割分業観の夫との葛藤と離婚、妻を対等のパートナーと理解し家事も分担する夫との再婚を描き、現在の結婚の在り方に疑問を持ち、社会的に目覚めて自分の道を模索する妻の姿を示すもので、原告の思想、感情を創作的に表現した読み物であり、文芸に関する著作物として著作物性を有することは明らかである。
3 被告らは、原告著作物の全体については創作性を争うものではないものの、原告著作物が、山脇史子の投稿や同人から取材した事実をもとにしていることを理由に、原告著作物中、山脇史子の投稿や同人の体験談に表現されている話の展開と同一の、建設会社に勤務する夫がサウジアラビアに単身赴任を命ぜられ、妻が同行を願うが、会社から同国が危険で女性が暮らせるところではないとして拒絶され、妻が他の石油会社や商社を訪ね歩いて同国の実情を調査し、会社の掲げる理由が事実に反するものであることを知り、会社は家族同伴で赴任する自由を認めるべきであると考えるという部分については、原告著作物に特有の個別性ある内容ではなく、したがって、右の部分については創作性がない旨主張する。
しかし、他人の体験談をもとにしたものであっても全体として独立した一個の著作物として創作性が認められるものにおいては、右著作物中の他人の体験や考えと一致する筋、仕組み、構成の部分に著作物として保護するに足りる創作性がないとはいえないところ、原告著作物が全体として独立した一個の著作物として創作性が認められるものであることは前記1、2に認定した事実から明らかであるから、被告らの右主張は採用できない。
三 本件テレビドラマ制作の経緯について
先に判示した事実に加えて、成立に争いのない甲第二号証、甲第六号証、甲第七号証、いずれも被告IVS及び被告近藤との間では成立に争いがなく、被告テレビ東京との間では原告本人尋問の結果により真正に成立したことが認められる甲第八号証、甲第一一号証、甲第一二号証、証人佐々木彰の証言により真正に成立したものと認められる丙第二号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したことが認められる甲第五号証、被告近藤本人尋問の結果により真正に成立したことが認められる乙第八号証、乙第一六号証、証人佐々木彰の証言、原告及び被告近藤各本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、右認定に反する乙第一六号証の記載部分及び被告近藤本人尋問の結果の一部は前記各証拠に照らし、たやすく採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 被告近藤は、昭和六〇年一一月頃、被告IVSに入社して常務取締役に就任し、テレビドラマ番組の受注、制作に携わっていたが、昭和六一年四月中旬頃、原告書籍を読み、原告書籍に表された女性の自立に関する原告の思想に感銘を受け、原告の右思想を基本的には忠実にドラマ化し、世に伝えたいと考え、同月二三日頃、それまで見ず知らずの関係であった原告に電話をかけ、原告著作物を含め、原告書籍のテレビドラマ化について了承を求めた。その際、被告近藤は、原告に対し、ドラマ化の決定までは一か月ほどかかる旨、ドラマ化の手法については種々の態様があり、どのような手法をとるかは任せて欲しい旨を告げた。原告も、ドラマ化のための脚本が別途制作され、あるいはドラマ化に適するように原作の内容に多少の変更があるであろうことは認識し、原告著作物を含め、原告書籍がテレビドラマ化されることを基本的に承諾した。
2 被告近藤は、昭和六一年五月頃、TBSテレビに対し、原告著作物をドラマ化した「妻たちはガラスの靴を脱ぐ」との表題の連続ドラマの企画案を提示したが、右企画案が原告著作物の思想内容をほぼ忠実にドラマ化しようとしたものであったため、同社は、被告近藤の企画案のストーリーが、女性の自立というテーマを取り扱い、離婚という形での家庭破壊や企業告発にまで至る意識変革を描くものであって、主たる視聴者である主婦層の価値観から掛け離れており、反発を招く恐れがある等として難色を示し、右企画は採用されなかった。
3 被告近藤は、単身赴任の問題に強い関心を有していたこともあって、昭和六一年八月頃、被告IVSが被告テレビ東京から受注していたドラマ枠の一作品として、再び原告著作物の内容をほぼ忠実にドラマ化する企画を提案したけれども、被告テレビ東京も、TBSテレビと同様の理由を挙げて難色を示し、採用しなかった。
4 しかし、被告近藤は、原告書籍中の作品に示された原告の思想の展開が、従来の女性ドラマのものに比し、非常に新鮮であり、優れたものであると高く評価していたため、なんとかドラマに活用したいと考え、昭和六一年一〇月頃、被告テレビ東京の担当者に対し、再び原告著作物のドラマ化を企画提案した。被告テレビ東京の担当者は、被告近藤に対し、前と同様の問題点を指摘したが、視聴者の反発を招かないような内容にするのであれば、前記企画案が取り上げた海外単身赴任ものでも採用が可能であるとの意向を示した。
5 そのため、被告近藤は原告書籍中の各編を忠実にテレビドラマ化して放映することは困難であり、視聴者の反発を受けない程度の内容に変更する必要があると考え、多くの主婦達が抱いている価値観の中で、会社と社員は相互に依存しているという前提のもとに海外単身赴任を巡る関係を作っていくものとし、夫婦は離婚という形の家庭破壊にまで至らず、より強い夫婦の絆を見出すという方向の企画を提案し、被告テレビ東京に採用された。
そこで、被告IVSは本件テレビドラマを制作することになり、被告近藤自らプロデューサーとなり、同年一一月下旬頃、前記の企画方針に基づいた脚本の執筆を大石静こと高橋静に依頼し、被告近藤の制作の意図の説明、原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て、同年一二月中旬頃、脚本の決定稿(乙第六号証)が完成した。右の脚本に基づき、同年一二月下旬頃、監督を山本厚として本件テレビドラマの撮影を開始し、編集、音入れ等の作業を経て、昭和六二年一月一九日、被告テレビ東京に本件テレビドラマのビデオテープを納入し、被告テレビ東京と被告IVSは、昭和六二年一月三〇日付けの本件テレビドラマについてのテレビ番組制作契約書を作成した。被告テレビ東京は、同年一月末頃、被告IVSに対し、本件テレビドラマを同年二月九日に放映することが決定された旨連絡した。
6 被告近藤は、昭和六二年二月七日、「わいふ」の編集室に原告を訪ね、原告書籍中の作品をテレビドラマ化した作品ができあがったので放映の許可をもらいたい旨、原告を原作者として表示することを承諾されたい旨を申し入れたが、原告が脚本も見ていない状態では返事のしようがない旨述べたため、同日、本件テレビドラマの脚本の準備稿(甲第二号証)を持参して、原告に交付した。原告は、右脚本を読み検討したところ、原告著作物と前半部分が同じであるにもかわらず、後半の部分がまったく違う結末になっている点について、原告著作物における原告の思想とは正反対の内容の作品とされたものであって、放映を承諾することはとうていできないと憤慨し、同月八日、被告近藤に対し、電話でその旨を述べてドラマ化を拒絶した。
被告近藤は、急遽、原告方を訪ね、原告に本件テレビドラマの放映について許諾するよう懇請し、原告との間で後記七1に認定するとおりの話合いがされた。
7 本件テレビドラマは、前記のとおり、昭和六二年二月九日午後九時から放映されたが、その際原告も他の何人も原作者として表示されなかった。
四 本件テレビドラマの内容について
成立に争いのない乙第六号証、被告近藤本人尋問の結果により真正に成立したことが認められる乙第一八号証、被告テレビ東京が放映したフィルムであることに争いのない検丙第一号証、検丙第一号証をダビングしたものであることに争いのない検甲第一号証及び被告近藤本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。
1 本件テレビドラマは、四二個のシーンから構成される正味が四四分間のテレビドラマであり、オープニングのほか、本編がコマーシャルが挿入される中断部分を挟んでR1ないしR4の四つの部分に分けられている。
その梗概をみると、シーン1、2のオープニングでは、主人公章子が夫雅人から海外単身赴任を命じられ妻は同行できないことを告げられるまで、シーン3ないし13までのR1では、夫が赴任するまでの間の同行を望む章子とそうはできないとする夫とのやりとりと、夫の赴任後、章子が会社に直談判することを決意するまで、シーン14ないし26までのR2では、章子が、夫の赴任先へ単身で赴こうと積極的に行動し、これに対し会社が夫の帰国を決定するまで、シーン27ないし35までのR3では、夫が帰国直後、社宅の隣人とその不倫相手との騒動に巻き込まれ、その相手から夫が重傷を負わされて入院し、隣人の夫が見舞いに訪れるまで、シーン36ないし42までのR4では、章子が、夫の真意を知り、自分は夫が帰国するまで日本で暮らす決意をし、夫を再び赴任先に単身で送り出し、赴任先の夫への近況報告で終わるまでがそれぞれ描かれもので、R2とR4に章子自身の短いナレーションがいくつか入る他は、登場人物の会話や行動等でストーリーが展開している。
2 本件テレビドラマのあら筋は以下のとおりである。なお、そのシーンの分け方は、脚本の決定稿である乙第六号証やこれに本件テレビドラマのビデオテープを見て訂正を加えた甲第八号証と一部異なる部分がある。
(一) 主人公倉沢章子は、結婚記念日のディナーの席で建設会社の海外事業部に属している夫雅人からサウジアラビアへ単身赴任を命じられ、一〇日後に出発すること、単身赴任が会社の決まりであることを告げられ、不機嫌になる。(シーン1、2)
(二) 同じ社宅の隣人の妻であり、章子の学生時代の友人でもある井上美貴は、章子とは逆に、家族同伴が原則のペルーへの同行を嫌がって国内に残り、夫が単身赴任している。美貴は、自分で会社とかけ合うという章子に、夫の出世の足を引っ張らないよう忠告する。
章子「でも会社の都合だけで勝手に決められた事、奥さん達までがハイハイ従っているから会社も横暴になっちゃうんじゃない」(シーン4)
(三) 章子は、夫に自分もサウジアラビアへ連れて行くよう迫り、それはできないという夫と毎晩議論をくり返す。
章子「前例がないなんて、それならあたし達が前例になってあげればいいじゃない」
雅人「何度も言ったろ、あっちの宿舎は、飯場に毛が生えた程度のプレハブで、迫田さんをチーフに男七人が共同生活してるんだから、お前の住む所なんかないんだよ」
章子「じゃ別にアパート借りればいいわ。会社がお金出してくれなくっても私が自分で払う」
雅人「・・・そんな所にアパートなんかある訳ないだろ!」
章子「ひどいわ!夫婦は一緒に居てこそ夫婦でしょ。あたし、土漠にテントはってでもマーちゃんと一緒に暮らす!」
章子「あなたが言えないなら、あたしが会社に言ってあげる」
章子「妻を置いて行っていいなら離婚して行くのが当然じゃない」
章子「行くんなら別れて行って!離婚して行って!」
章子「じゃ会社やめて、そんな会社やめて」
(シーン6ないし9)
(四) 結局、夫は、単身でサウジアラビアに赴任していく。その見送りの際、章子は、美貴の夫が現地で浮気していることを小耳にはさむ。(シーン10、11)
(五) 章子は、出版者に勤める学生時代の先輩玲子から仕事を手伝って欲しいと頼まれ、ホテルのロビーで面談するうち、美貴が浮気をしている現場を目撃する。玲子は、サウジアラビア行きを会社に直談判するという章子にデータを集めるよう助言する。(シーン13)
(六) 章子は、サウジアラビアに社員を派遣している石油会社、商事会社等を訪問し、情報を集める。
ナレーション「かき集めた情報から浮かんで来たのは、建設会社では妻の同伴を認めている所は少なく、反対に商社は滞在期間が五年から八年と長いせいもあって家族同伴を積極的にすすめている所が多いという事実だった」
海洋商事社員「うちは、社員とその家族用にアパートを一棟、ジェッダーの市内に確保しております。空きがありますから、お使いになりますか?」(シーン14ないし18)
(七) 章子は夫の会社へ出かけ、サウジアラビアに行くことを認めるよう交渉するが、夫の上司から、厳しく拒否される。
章子「経費の問題でしたら、会社にご迷惑おかけするつもりはございません」
社員「いえ、そういう事でなくて、安全が保障できない地域へ、配偶者も一緒に行けというのは、会社としてかえって無責任になるわけでして」
課長「倉沢君を含めて七人のチームは、全員女っ気ぬきで共同生活をしているんです。その仲間のうち、ただ一人が妻と暮らす事になったら、チームワークは乱れ、倉沢君自身白眼視されるのは当然ですよ」
(シーン20)
(八) あきらめ切れず、とにかく一度サウジアラビアへ行こうとした章子は思わぬ障害にぶつかる。
旅行社の女性社員「ご存じのように、あちらは回教徒の国ですから、女性に対する考え方が全く違います。なにかのグループに属しての商用ビザという形でないと、個人として入国申請されましても、単身でのビザ取得は不可能だと思いますが」
しかし、アラビア語学院で、中近東方面に飛んでいる航空会社の形だけでも社員にしてもらえたらビザはおりるんじゃないかと教えられ、道が開けそうになる。(シーン21ないし25)
(九) 会社は、章子がサウジアラビアに赴くことにより、前例ができることをおそれ、夫を帰国させる決定をする。
海外事業本部長「もういい。女房に現地に転がり込まれるより、本人を帰国させた方が影響は少ない。倉沢は、骨のある奴だと思って見込んでいたんだが、女房一人コントロールできんようではダメだ」
(シーン26)
(一〇) 現地の上司のとりなしで、章子を説得するため三日間だけということで帰国した雅人はよそよそしく、その足で会社に赴いてしまう。その夜、美貴の浮気の相手が美貴と刃傷沙汰を起こし、帰宅した雅人がこれを止めようとして事件に巻き込まれ、相手から重傷を負わされ入院を余儀無くされる。(シーン27ないし33)
(一一) 雅人は、章子に足を引っ張られるのはもう沢山であると、章子に対して頑なな態度を取り続ける。章子は、見舞いに来た美貴の夫から、雅人がサウジアラビアに章子を呼び寄せるよう努力していたことを知らされるとともに、雅人がサウジアラビアで仕事をすることを切望していたことを知る。章子は、よい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことは妻としてあるべき姿ではなかったと雅人に謝り、雅人の上司に交渉して、再度、雅人がサウジアラビアへ単身赴任できるようにし、用意されたサウジアラビア行きの航空券を雅人に手渡す。その結果、雅人も章子と和解し、雅人は再度単身赴任する。(シーン34ないし41)
(一二) 章子が玲子のアシスタントとしていきいきと働く姿が描かれるとともに、雅人に対し、仕事は疲れるけど楽しい、あなたが自身を生かすために仕事をしていることがわかった。元気で仕事をしながら、おなかの赤ちゃんと雅人の帰りを待っている旨の近況報告のナレーションが話をしめくくる。(シーン42)
五 翻案権侵害、放送権侵害について
1 右二に認定の事実によれば、原告著作物の基本的なストーリーは、「建設会社に勤務する主人公章子の夫がサウジアラビアへ二年間の単身赴任を命じられる。章子は、夫と同行したいと願い、夫と議論するが、会社の方針によって許されないまま、夫は赴任する。章子は希望を実現しようと夫の会社と直談判するが、会社側は、治安の悪さを理由に章子を説得しようとする。章子はサウジアラビアに社員を派遣している石油会社や商事会社を訪ね歩き、会社が同行を許さない理由とする事情は真実でないことや、企業の海外単身赴任の実情を知るとともに、社員用アパートを提供できるかも知れないという企業まで見つけた。章子は、自力でサウジアラビアへ赴こうとするが、回教国である同国へは、女性の単身での入国ビザが得られないという障害にぶつかる。しかし、書類上の操作で入国が不可能ではないことを知る。章子が夫の後を追って行きそうだと知った会社は、単身赴任の慣行を維持しようとして、夫に帰国命令を下し、章子は別れてから六ケ月半後に夫を取り戻す。しかし、章子と夫との間には亀裂が生じ、章子が就職したことが破局の直接的なきっかけとなる。章子は、次第に仕事と家庭の両立が困難な状況になり、家事の分担を巡って夫婦間の溝は深まり、離婚するに至る。その後、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚する。」というものである。
2 右四認定の事実によれば、本件テレビドラマの基本的なストーリーは、「建設会社に勤務する主人公章子の夫がサウジアラビアへ二年間の単身赴任を命じられる。章子は、夫と同行したいと願い、夫と議論するが、会社の方針によって許されないままに夫は赴任する。章子は希望を実現しようと、サウジアラビアに社員を派遣している石油会社や商事会社を訪ね歩き、企業の海外単身赴任の実情を知るとともに、社員用アパートを提供してもよいという企業まで見つけた上、夫の会社と直談判するが、会社側は、赴任者のチームワークが乱れることを理由に章子の願いを拒絶する。章子は自力でサウジアラビアへ赴こうとするが、回教国である同国へは、女性の単身での入国ビザが得られないという障害にぶつかる。しかし、書類上の操作で入国が不可能ではないことを知る。章子が夫の後を追うおそれがあると知った会社は、夫に帰国命令を下す。現地の上司のとりなしで、章子を説得するため一時帰国した夫は、隣人の妻の不倫相手の刃傷沙汰に巻き込まれて負傷し、入院する。章子と夫との間に溝ができかけるが、章子は夫の真意を知り、よい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝り、章子と和解した夫は、再度単身赴任し、章子は日本で職業につく。」というものである。
3 右1及び2の事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国するまでの前半の基本的ストーリーが極めて類似していることは明らかである。
また、前記二及び四に認定した事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマとは、別紙対照目録中の「登場人物の類似点」の項に記載のとおり、主人公の名前、夫婦の間の子どもの有無、共働きかどうか、夫の勤務先、夫の転勤先、主人公のキャラクター、夫のキャラクターも極めて類似していること、別紙対照目録中の「具体的な内容の類似点」の項に記載のとおり、単身赴任についての問題提起、単身赴任命令に対する妻(主人公)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻(主人公)の対応、妻(主人公)の行動、妻(主人公)のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等についての前半のストーリーの細部も類似しており、その表現の具体的な文言までが共通している部分もあることが認められる(但し、別紙対照目録中の「甲八号証の本件テレビドラマ」欄のシーン番号は甲第八号証記載の番号であり、本件テレビドラマのシーン番号は一部ずれる部分がある。また、同欄の「妻の行動(生き方)」の項中、章子が訪れる会社名に「亜細亜石油」とあるのは「光亜石油」が正しく、「三友物産」の会社名は明示されない。さらに、章子が訪れる語学学校名に「アジア・アフリカ語学院」とあるのは「アラビア語学院」が正しい。)。
他方、右1及び2の事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国して後の後半の基本的ストーリーは、原告著作物が、前記1のように、章子が就職したことが直接的なきっかけとなって、章子夫婦は離婚し、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚するのに対し、本件テレビドラマでは、前記2のように、章子と夫との間に溝ができかけるが、章子はよい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝って夫婦は和解し、夫は再度単身赴任するというもので、大きく異なっている。また、本件テレビドラマには、原告著作物には登場しない、主人公の社宅の隣人の美貴夫婦、主人公の学生時代の先輩玲子等が登場する点でもストーリーが異なっている。
しかしながら、右のような相違点にもかかわらず、前記の類似点、共通点を考慮すれば、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似しているものというべきである。
前記甲第二号証、乙第六号証及び前記三認定の事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマに右のような共通点、類似点があるのは、被告近藤が、原告著作物を含む原告書籍中の作品を読んで、高く評価して、これを忠実にテレビドラマ化したいと考えたが、テレビ局に受け入れられず、視聴者の反発を受けない程度の内容に変更することとし、脚本家と被告近藤の制作の意図の説明、原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て完成された脚本に基づいて本件テレビドラマが制作されたためであることが認められる。
以上の事実によれば、本件テレビドラマは、原告著作物に依拠してされた原告著作物の翻案と認められ、本件テレビドラマの制作は原告著作物について原告の有する翻案権を侵害するものである。また、本件テレビドラマの放映は、原告が著作権法二八条により有する本件テレビドラマについての放送権の侵害にあたる。
4(一) 被告らは、原告が、翻案権侵害の主張を根拠づける主要事実を十分に主張しないから、原告の請求は主張自体失当である旨主張するが、原告は必要な主張をしているものと認められ、被告らの主張は採用できない。
(二) 被告らは、原告著作物にはドラマ化権の保護範囲に該当する独創的物語性のある部分がないから、本件テレビドラマによるドラマ化権侵害の余地はない旨主張する。
しかし、原告著作物が、山脇史子の投稿や同人から取材した事実をもとにしているからといって、そのことを理由に、原告著作物中、山脇史子の投稿や同人の体験談に表現されているその他人の体験や考えと一致する筋、仕組み、構成部分には著作物として保護するに足りる創作性がないとはいえないことは、前記二3に判断したとおりであり、また、著作物中の作者自身や実在の人物が表明した見解、意見の表現、登場人物に関する行動、でき事を一般的、抽象的に描いた部分、登場人物の感情をそのまま直接表明した部分に著作権法上の保護が及ばないとも、右のような表現部分にドラマ化権(翻案権)侵害の余地がないともいえないから、被告らの右主張は失当である。
(三) また、被告らは、種々の理由を挙げて、原告著作物と本件テレビドラマは内面形式(基本となる原作の筋、仕組み、主たる構成)が全く異なる旨主張する。
まず、被告らは、原告著作物はいわゆる傾向文学に属しており、主義主張の宣伝という美的以外の目的を追及する思想発表であり、その実質は読み物の形式を借りた論説であると主張する。確かに、前記二認定の事実によれば、原告著作物には、現在の結婚の内容、制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自立しようとする妻の姿を描くという観点から、主人公の夫の海外単身赴任をめぐる事件の中にあらわれた、企業が社員のみならずその妻をも支配している状況の指摘、主人公の夫に代表される世の男性の、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観の指摘、妻の働く女性としての自立の勧め等の原告の思想、主張が明確に表現されていることは明らかである。
しかし、前記二認定のとおり、原告著作物には、主人公章子の夫の海外単身赴任というできごとを中心に、章子夫婦の出会いから、結婚、夫の海外単身赴任と同行を望む章子の活動、夫の帰国と章子の就職、その後の夫婦生活の破局、章子の再婚までのストーリーが、章子や夫の心理状態、感情をも含めて具体的に描写されており、これを読み物の形式を借りた論説であるということはできず、また、そのことを翻案権の有無、範囲の検討にあたって考慮すべきであるということもできない。
次に、原告著作物が、主に主人公や夫などの登場人物の会話や行動、あるいはその心理や思考を三人称体で客観的に描写する形式でストーリーが展開されるが、一部に主人公が著者に話し掛け、あるいは報告する形式の部分、著者が一人称で自己の目から見た主人公や夫等の客観的状況を描写し、愛、結婚、家庭、単身赴任、会社の社員支配等についての意見を開陳する部分が加えられた、ルポルタージュ風の読物であることは前記二に認定のとおりであり、本件テレビドラマが、一部に章子自身の短いナレーションがいくつか入る他は、登場人物の会話や行動等でストーリーが展開していることは前記四に認定のとおりである。
しかし、このような構成の形式に違いがあっても翻案となりうることは当然であり、構成の形式の違いを理由に、本件テレビドラマが原告著作物の翻案であることを否定する被告らの主張は採用できない。
さらに、被告らは、原告著作物と本件テレビドラマとでは根本思想ないしテーマが全く相違する旨主張する。
原告著作物には、現在の結婚の内容、制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自立しようとする妻の姿を描くという観点から、主人公の夫の海外単身赴任をめぐる事件の中にあらわれた、企業が社員のみならずその妻をも支配している状況の指摘、主人公の夫に代表される世の男性の、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観の指摘、妻の働く女性としての自立の勧め等の原告の思想、主張が明確に表現されていることは前記のとおりであり、他方、前記四認定の事実によれば、本件テレビドラマには、制作者の思想、主張が直接的に明確に述べられる部分はないが、その全体から見ても、海外単身赴任が夫婦、家族の生活に与える影響も描きつつ、やりがいのある仕事をするために必要な場合もあると肯定的にとらえ、社会的視野が狭く、夫婦の愛情のみを大切に考えて同伴を強く望んでいた妻が、夫の海外単身赴任先での仕事にかける情熱を理解し、よい妻であろうと決心して単身赴任を受け入れると、厳しく対応していた夫の上司も、意外とものわかりよく夫に再赴任の機会を与えるいう形で問題が解決するなど、企業批判の思想は汲み取れず、また、仕事を持つ玲子のてきぱきとした態度やいきいきと働く妻の描写等から、女性が社会へ出て働くことの肯定的態度はうかがわれるが、男性の伝統的分業観への批判や、離婚をもいとわない女性の自立の主張は読み取ることはできず、海外単身赴任をめぐるサラリーマン夫婦の家庭と仕事の葛藤、苦しみと喜びを、調和的、常識的に描くという以上に明確な思想、主張の表明は認められない。
しかしながら、このような各著作物の基本思想の違いを考慮しても、右1ないし3認定の原告著作物と本件テレビドラマの前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似している点を考慮すれば、本件テレビドラマは原告著作物の翻案であると認めることができる。
被告らは、原告著作物と本件テレビドラマとは、主人公の人物像、主人公が対立、葛藤する対象が違うと主張するが、原告著作物と本件テレビドラマの前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似していることは右1ないし3に判断したとおりである。
被告らの、原告著作物と本件テレビドラマは内面形式が全く異なる旨の主張は採用できない。
(四) 被告らは、本件テレビドラマの制作に当たり、原告著作物に表れている体験的事実を題材あるいは素材として参考にしたが、本件テレビドラマが、終始、原作著作物から独立して独自に企画、構想、取材、脚本執筆等の作業を経て製作されたものである旨主張する。
テレビドラマの制作あるいはテレビドラマの脚本を執筆するに当たり、他人の文芸に関する著作物を素材として利用することは許されないことではないが、その著作物の著作権者の許諾なくして利用することが許されるのは、その他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として直接感得しえないような態様において利用する場合に限られるものであり、テレビドラマあるいはその脚本の著作者が主観的には素材として他人の著作物を利用する意図であったとしても、制作されたテレビドラマあるいは脚本から、当該他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として直接感得しうることができ、右特徴が失われるに至っていないときは、右他人の著作物の翻案にあたるものである。
これを本件についてみるに、本件テレビドラマと原告著作物は、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似しているものであり、本件テレビドラマから、原告著作物における表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として直接感得しうることができ、右特徴が失われるに至っていないものということができる。そして、原告著作物と本件テレビドラマに前記のような共通点、類似点があるのは、被告近藤が、原告著作物を含む原告書籍中の作品を読んで、高く評価して、これを忠実にテレビドラマ化したいと考えたが、テレビ局に受け入れられず、視聴者の反発を受けない程度の内容に変更することとし、脚本家と被告近藤の制作の意図の説明、原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て完成された脚本に基づいて本件テレビドラマが制作されたためであることは前記のとおりであり、本件テレビドラマは原告著作物の翻案にあたる。被告らの前記主張は失当である。
六 著作者人格権の侵害について
1 本件テレビドラマが原告著作物の翻案であることは右五に認定判断したとおりであるけれども、他方、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国して後の後半の基本的ストーリーは、原告著作物が、章子が就職したことが直接的なきっかけとなって、章子夫婦は離婚し、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚するのに対し、本件テレビドラマでは、章子と夫との間に溝ができかけるが、章子はよい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝って夫婦は和解し、夫は再度単身赴任するというもので、大きく異なっている。また、本件テレビドラマには、原告著作物には登場しない、主人公の社宅の隣人の美貴夫婦、主人公の学生時代の先輩玲子等が登場する点でもストーリーが異なっていることも前記五3に認定判断したとおりである。
更に、原告著作物には、会社の命ずる海外単身赴任が一組の夫婦に与えた波乱、夫の任地への同行を望む妻の積極的な行動とその過程で明かになる海外単身赴任の実情、企業が社員のみでなくその妻をも支配している状況、支配されている自分に屈辱を感じ、働く女として自立しようとする妻と、夫は仕事妻は家庭という伝統的役割分業観の夫との葛藤と離婚、妻を対等のパートナーと理解し家事も分担する夫との再婚が描かれ、表題も、現在の結婚の在り方に疑問を持ち、社会的に目覚めて自分の道を模索する妻の姿を端的に示す「目覚め」とつけられている。
これに対し、本件テレビドラマは、海外単身赴任が夫婦、家族の生活に与える影響も描きつつ、やりがいのある仕事をするために必要な場合もあると肯定的にとらえ、夫婦の愛情のみを大切に考えて同伴を強く望んでいた妻が、夫の海外単身赴任先での仕事にかける情熱を理解し、よい妻であろうと決心して単身赴任を受け入れると、厳しく対応していた夫の上司も、意外とものわかりよく夫に再赴任の機会を与えるいう形で問題が解決するなど、企業批判の思想は汲み取れず、また、女性が社会へ出て働くことの肯定的態度はうかがわれるが、男性の伝統的分業観への批判や、離婚をもいとわない女性の自立の主張は読み取ることはできず、社会的な視野の狭いあさはかな妻が夫との同伴を求めて大騒ぎしたが、結局は反省して夫の単身赴任を受け入れるというもので、表題も「悪妻物語?夫はどこにも行かせない!」とつけられている。
右のような基本的ストーリーの変更、表現内容の変更、表題の変更は、原告著作物のような読み物をテレビドラマ化する場合、外面的な表現形式の相違により必然的に生ずる表現の削除、付加、変更の範囲をはるかに超えた変更であり、原告が原告著作物について有している同一性保持権を侵害するものである。
また、右に認定したような原告著作物の基本的ストーリー、表現内容又は表題の変更は、原告著作物についての原告の創作意図に反する利用であり、後記九2認定のとおり、女性の自立、女性の権利擁護のための著述活動、社会的活動を行って来た原告の名誉又は声望を害する方法による原告著作物の利用であることも明らかであるから、著作権法一一三条三項により、原告の著作者人格権を侵害したものとみなされるものである。
2 本件テレビドラマは、昭和六二年二月九日午後九時から放映されたが、その際、原告は原作者として表示されなかったことは前記のとおりである。しかし、後記七に認定判断するとおり、右のように原作者として原告の氏名を表示しなかったことは原告の意思に従ったものと認められるから、原告が原告著作物及びその二次的著作物について有している氏名表示権を侵害するものとは認められない。
七 包括的承諾について
1 前記三認定の事実並びに前記甲第二号証、甲第五号証ないし甲第八号証、甲第一一号証、甲第一二号証、乙第一六号証、証人佐々木彰の証言、原告及び被告近藤の各本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、右認定に反する乙第一六号証の記載部分及び被告近藤本人尋問の結果の一部は前記各証拠に照らし、たやすく採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 被告近藤が、昭和六一年四月二三日頃、それまで見ず知らずの関係であった原告に電話をかけ、原告著作物を含め、原告書籍のテレビドラマ化について了承を求めた。その際、被告近藤は、原告に対し、ドラマ化の決定までは一か月ほどかかる旨、ドラマ化の手法については種々の態様があり、どのような手法をとるかは任せて欲しい旨を告げた。原告も、ドラマ化のための脚本が別途制作され、あるいはドラマ化に適するように原作の内容に多少の変更があるであろうことは認識し、原告著作物を含め、原告書籍がテレビドラマ化されることを基本的に承諾した。
もっとも、右の段階では、原告と被告近藤との間では、原告書籍をどのようにドラマ化するかに関して、脚本、スタッフ、配役、これを放映するテレビ局ないしは右ドラマ化における原告書籍の使用料等の具体的な内容にまでは話は及ばず、右ドラマ化に関して、改めて協議してその具体的内容を取り決めるとか、被告近藤から原告に具体的内容に関して了解を求めるというような合意もされなかった。したがって、原告としては、ドラマ化の企画がテレビ局に採用されたときは、右の具体的な内容について、再度協議するものと考えていた。
(二) 被告近藤は、昭和六二年二月七日、「わいふ」の編集室に原告を尋ね、原告著作物をテレビドラマ化した作品ができあがったとして放映の許可と原告を原作者として表示することの承諾を申し入れ、原告の脚本を見たいとの要請に対し、同日、本件テレビドラマの脚本の準備稿を持参して、原告に交付した。原告は、右脚本を検討したところ、原作にない人物が出てきたり、喜劇的になっている点についてはテレビドラマ化に伴うものであって、やむを得ないと考えたものの、その内容が夫の海外単身赴任に抵抗して自分もついていこうとする妻の物語である点で原告著作物と前半部分が同じであるにもかかわらず、後半の部分がまったく違う結末になっている点については、原告著作物における原告の思想とは正反対の内容の作品とされたものであって、放映を承諾することはとうていできないと憤慨し、同月八日、被告近藤に対し、電話でその旨を述べて、ドラマ化を拒絶した。
被告近藤は、急遽、原告方を尋ね、原告に本件テレビドラマの放映について許諾するよう懇請し、<1> 部分的にナレーションを変更して、原作の主張が伝わるようにする旨、<2> 原告の主張が伝わるようなテロップを一部に流す旨、<3> 本件テレビドラマの原作を原告著作物とせず、原告著作物「より」として原作そのままでないことを明確にする旨述べて、妥協案を出したが、原告は、<1>、<2>については実現不可能であろうと考え、<3>については内容の変更が原告の思想を歪めるものであるため許せないと考えて、右要請を改めて拒絶した。
ところが、被告近藤は、既に本件テレビドラマが制作され、放映予定日も迫っていたことから、重ねて原告に本件テレビドラマの放映について許諾するよう懇請し、原告方から帰ろうとしなかった。原告は、被告近藤に対し、これ以上話し合っても無駄であり、原告としては本件テレビドラマの制作や放映を容認するつもりはない旨告げるとともに、被告近藤の様子から、原告の許諾の有無にかかわらず、本件テレビドラマが放映されるであろうと推察し、被告近藤に対し、本件テレビドラマを放映せざるを得ないのであれば、原告としては、原作者として氏名を表示されることは一切断る旨及び本件テレビドラマが放映された場合には、原告は法的な手段をとる旨を申し渡した。
2 右認定の事実によれば、原告は、昭和六一年四月二二日頃、被告近藤から原告著作物のドラマ化の打診を受け、これを基本的には承諾したことは認められるが、右承諾は、被告近藤が、それまで見ず知らずの関係にあった原告に電話で申し込んでその場でされたものであるという経過や、その時の交渉内容に照らせば、原告著作物を忠実にテレビドラマ化することを前提として、被告近藤がテレビドラマ化のためテレビ局との交渉、企画、脚本化等の具体的作業を行うことについて基本的に承諾したもので、最終的には、脚本等が確定した段階で確定的な翻案、放送についての合意がされることを前提とするものと認められる。更に、右承諾は、被告近藤にストーリーの自由な改変を許すものではなく、テレビドラマ化に伴いあら筋の順序や展開等に多少の変更を加えることは有るとしても、原告著作物全体の基本的ストーリーを変更しないことを前提とするものであると認められる。
本件テレビドラマは、原告著作物と比べて、基本的ストーリーの後半部分が変更され、原告著作物に表現された著作者の意図から全く離れるような結末とされているのであるから、右昭和六一年四月二二日頃の承諾が、このような本件テレビドラマの制作、放映、原告著作物の改変まで承諾したものと認めることはできない。
3 また、前記1認定の事実によれば、昭和六二年二月七日、八日の交渉では、原告は、被告近藤から交付された本件テレビドラマの脚本(実際は脚本の準備稿)を読んで検討した上、本件テレビドラマへの翻案、改変、本件テレビドラマの放映を明確に拒絶したものであり、右両日の交渉中に本件テレビドラマへの翻案、改変、本件テレビドラマの放映について原告が承諾したものとは認められない。
もっとも、原告は、昭和六二年二月八日の交渉の最終段階で、原告としては本件テレビドラマの制作や放映を容認するつもりはない旨告げるとともに、原告の許諾の有無にかかわらず、本件テレビドラマが放映されるであろうと推察し、被告近藤に対し、本件テレビドラマを放映せざるを得ないのであれば、原告としては、原作者として氏名を表示されることは一切断る旨述べたのであるから、本件テレビドラマを放映するならば、原作の著作者として原告の氏名を表示しないことを求めたものと認められ、本件テレビドラマの放映の際に原作者として原告名が表示されなかったことは原告の意思に基づくものと認められ、氏名表示権の侵害は認められない。
八 被告らの故意、過失及び不法行為の成否について
1 被告近藤
以上の認定判断によれば、被告近藤には、本件テレビドラマの制作及び放映が原告が原告著作物について有する翻案権、放送権及び同一性保持権を侵害するものであることを認識していたか過失により認識することができなかったものと認められるから、同人には少なくとも過失があったものと認められる。したがって、被告近藤が本件テレビドラマを制作することにより、原告が原告著作物について有する翻案権、同一性保持権を侵害した行為、本件テレビドラマを被告テレビ東京に納入し放映させた行為は、不法行為を構成するものである。
2 被告IVS
被告近藤の本件テレビドラマの制作行為及び本件テレビドラマを被告テレビ東京に納入して放映させた行為が不法行為を構成するものであることは右1のとおりであり、本件テレビドラマの制作、納入当時、被告近藤は被告IVSの常務取締役であり、被告IVSの業務の執行として、プロデューサーとなって本件テレビドラマの制作に当たっていたものであるから、被告IVSは被告近藤の前記不法行為につき、民法四四条又は民法七一五条により責任を負うものといわなければならない。
3 被告テレビ東京
(一) 前記三認定の事実に、前記丙第二号証、検甲第一号証、検丙第一号証、証人佐々木彰の証言により真正に成立したものと認められる丙第三号証及び同証人の証言、被告近藤本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)を併せれば、次の事実が認められ、被告近藤本人尋問の結果中、これに反する部分は信用できない。
(1) 本件テレビドラマの最初には、被告テレビ東京と被告IVSの制作によるものであることが、本件テレビドラマの最後には、チーフプロデューサーとして被告テレビ東京の従業員である遠藤慎介が、企画プロデューサーとして被告近藤が、プロデューサーとして被告テレビ東京の従業員である佐々木彰がそれぞれ表示されていた。本件テレビドラマの脚本の決定稿にも、制作が被告テレビ東京と被告IVSによること、チーフプロデューサーが被告テレビ東京の遠藤慎介及び被告IVSの被告近藤であり、プロデューサーが被告テレビ東京の佐々木彰であることが表示されていた。
(2) 右遠藤及び佐々木特に佐々木は、本件テレビドラマの制作に企画の段階から関与し、被告IVS及び被告近藤に対し、本件テレビドラマの内容が視聴者の反発を招かないようなハッピーエンドのものとなるよう求め、また、本件テレビドラマの脚本の準備稿を読んで修正を求め、撮影現場にも一度立ち会ったが、それらの過程では、被告近藤や被告IVSから、企画中の本件テレビドラマに原作があること、更には、原作が原告著作物であることの説明はなく、被告テレビ東京側でも、原作の有無や翻案の原著作物として問題となる可能性のある素材の有無を確認しなかったため、本件テレビドラマには原作がないものと考えていた。
(3) 佐々木は、昭和六二年二月上旬頃、既に被告IVSから納入され、試写も終えていた本件テレビドラマと基本的ストーリーが類似したドラマの企画書が他社から提出されたことに気付き、右企画書の表紙に原作として原告書籍名とその著者として原告名が表示されていることを知り、同年二月六日、被告近藤に対し、本件テレビドラマの原作がどうなっているか確認した。これに対し、被告近藤が、原作ではないが、原告の著作のアイデアを借りていることがあると説明したので、原告との間で問題が生じないように原告の了解を得るように指示し、必要なら放映の中に原作の表示等をすると伝えた。同年二月八日に、被告近藤から、原告から基本的に了解が得られ、放映の中の表示も必要がない旨の連絡があったので、同年二月九日、本件テレビドラマを放映した。
それまでの間、被告テレビ東京では、原告書籍を読んで本件テレビドラマが原告著作物についての著作権を侵害するか否かの検討はしなかった。
(4) これより先、本件テレビドラマが完成し、被告テレビ東京に納入された後の昭和六二年一月三〇日に、被告テレビ東京と被告IVSとの間で本件テレビドラマについてテレビ番組制作契約書が調印された。右契約書の条項の一部となっている「テレビ番組制作契約基準条項」の第一条には、被告IVSは、本番組について被告テレビ東京と事前に協議し、被告テレビ東京の制作意図を実現するよう被告テレビ東京と緊密な連絡の上番組制作にあたること、本番組の制作業務上重要な作業は、事前に被告テレビ東京との協議により、決定進捗すること、本番組の制作途上、各作業項目について重要な変更をするときは事前に被告テレビ東京の承諾を得ることが、第一二条には、被告IVSは、この契約により被告テレビ東京が取得する諸権利を支障なく行使できるように、本番組に使用される一切の著作物の著作権の処理を全て被告IVSの負担と責任において行うものとすることが定められている。
(二) 右認定の事実によれば、被告テレビ東京は本件テレビドラマを被告IVSと共同で制作し、これを放映したものであり、放送事業、放送番組の制作を業としている被告テレビ東京には、その制作、放映するテレビドラマが他人の著作権を侵害しないように、原作や翻案の原著作物であるとして問題となる余地のある素材の有無、原作者の許諾の有無等を調査し、制作の作業の一部を第三者にさせる場合にはその者を指揮、監督すべき義務があるところ、本件テレビドラマのチーフプロデューサーであった被告テレビ東京の従業員遠藤及びプロデューサーであった従業員佐々木が、いずれも本件テレビドラマの企画、脚本化の段階で原作の有無を調査確認することなく、また、本件テレビドラマの放映前に被告近藤から原告著作物からアイデアを借りたことを知らされた後も、自ら原告書籍を検討したり、原告と連絡をとって許諾を確認することを怠った過失により、本件テレビドラマの制作により原告が原告著作物について有する翻案権及び同一性保持権を侵害し、本件テレビドラマの放映により、原告が二次著作物である本件テレビドラマについて有する放送権を侵害したものと認められる。
(三) 被告テレビ東京は、本件テレビドラマは被告IVSの持込み企画で、被告IVSが制作したものであり、被告IVSが一切の権利義務関係の処理を自己の負担と責任において行う約定となっていたもので、被告テレビ東京には本件テレビドラマの制作、放映に関し、何らの過失はない旨主張する。
しかし、我が国有数のテレビ局として放送事業、放送番組の制作の事業を行っている被告テレビ東京には、一旦その放送網を通じて他人の著作権を侵害する番組が放送されると、瞬時に広範囲の視聴者に著作権侵害の番組が伝達され、侵害の程度が大きくなる可能性が大きいから、その制作、放映するテレビドラマが他人の著作権を侵害しないように、万全の注意を払う義務があるもので、他社に制作を委託した番組についてもその注意義務が軽減されるものではない。被告テレビ東京は本件テレビドラマが完成し、納入された後に被告IVSとの間で、本番組に使用される一切の著作物の著作権の処理を全て被告IVSの負担と責任において行う旨の条項を含む、本件テレビドラマについてのテレビ番組制作契約書を調印しているが、右契約を理由に、第三者である原告に対する権利侵害についての注意義務が軽減されたり、免除されたりするものではない。
そして、前記(一)認定の事実によれば、被告テレビ東京は、実質的には本件テレビドラマを被告IVSと共同制作したものであり、その内容を実質的に決定、変更する権限を有していたもので、その企画、脚本化の段階から放映直前までその注意義務を果たすことは現実に可能であったのに、前記(二)のとおりの過失があったものである。
被告テレビ東京の前記主張は採用できない。
4 なお、前示被告らの翻案権、放送権、同一性保持権侵害の行為は共同不法行為を構成するものと認められるから、被告らは連帯してその責任を負うものである。
九 損害額及び名誉回復措置について
1 翻案権侵害、放送権侵害による損害
前記甲第一一号証、原告及び被告近藤各本人尋問の結果によれば、本件テレビドラマより前に原告の作品がテレビドラマ化されたことはなく、原作料の支払いを受けた例はないこと、本件テレビドラマの放映後の昭和六二年二月一一日に被告近藤が原告方を訪れ、本件テレビドラマに原告著作物を利用したことに対する謝礼として金五〇万円を持参したが、原告に受領を拒絶されたことが認められ、これらの事実に、前記認定の本件テレビドラマによる原告著作物についての原告の著作権の侵害の態様を考慮すれば、原告著作物の本件テレビドラマ同様のテレビドラマの原作としての通常支払われるべき使用料は金五〇万円が相当であると認める。これを超える金額が相当であることを認めるに足りる証拠はない。
2 同一性保持権侵害による損害
前記甲第一一号証、甲第一三号証、甲第一四号証、乙第一号証、乙第二号証及び原告本人尋問の結果に前記各認定事実を総合すれば、原告は、投稿誌「わいふ」の編集長として同誌を主宰するとともに、女性の自立、女性の権利擁護を目指す著作活動、社会活動を行っているものであること、原告は、山脇史子の、夫が海外赴任を命じられたが、会社が妻の同行を許さないことや、同人が会社の右措置に対し強い不満を抱いていることなどの訴えに興味を抱き、「わいふ」に山脇の投稿を掲載したが、現在の結婚の内容や制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自分の道を模索している妻達の姿を世に伝えたいと考えるようになり、右山脇の同意を得て、同人の投稿のほか、投稿の前後に同人から聴取した内容をもとにして、原告著作物を著述したこと、原告著作物には、会社の命ずる海外単身赴任が一組の夫婦に与えた波乱、夫の任地への同行を望む妻の積極的な行動とその過程で明らかになる海外単身赴任の実情、企業が社員のみでなくその妻をも支配している状況、支配されている自分に屈辱を感じ、働く女として自立しようとする妻と、夫は仕事妻は家庭という伝統的役割分業観の夫との葛藤と離婚、妻を対等のパートナーと理解し家事も分担する夫との再婚等が具体的に表現され、表題も、現在の結婚の在り方に疑問を持ち、社会的に目覚めて自分の道を模索する妻の姿を端的に示す「目覚め」とつけられていることが認められる。
これに対し、本件テレビドラマは、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似しているのに、その後半の基本的ストーリーを改変し、表現を変更した結果、企業批判の思想は汲み取れず、また、女性が社会へ出て働くことの肯定的態度はうかがわれるが、男性の伝統的分業観への批判や、離婚をもいとわない女性の自立の主張は読み取ることはできず、社会的な視野の狭いあさはかな妻が夫との同伴を求めて大騒ぎしたが、結局は反省して夫の単身赴任を受け入れるというもので、表題も「悪妻物語?夫はどこにも行かせない!」とつけられていることは、前記認定のとおりである。
右事実によれば、単に原告著作物の本件テレビドラマへの翻案にあたってストーリーや表題が改変されたというのみではなく、女性の自立、女性の権利の擁護のための著述活動、社会的活動の一つとして、現代の結婚や女性の自立についての原告の思想、社員の妻に及ぶ企業の支配の批判等の表現として著述された原告著作物が、そのような思想、批判が汲み取れないものに改変され、実在の人物である山脇史子をモデルに、同人の承諾を得て、夫の海外単身赴任という事件をきっかけに、主婦が社会的に目覚め、自分の道を模索して自立しようとする姿を表現した原告著作物が、社会的な視野の狭いあさはかな妻が夫との同伴を求めて大騒ぎしたが、結局は反省して夫の単身赴任を受け入れるという話に改変されたうえ、日本有数のテレビ局において午後九時からの五四分間という視聴者のきわめて多い時間に放映されたもので、本件テレビドラマによる原告著作物についての右のような態様の同一性保持権の侵害によって原告はその社会的な名誉声望を毀損され著しい精神的苦痛を被ったものと認められる。
これらの事実によれば、被告らの同一性保持権侵害による原告の精神的苦痛に対する慰謝料の額は、金一〇〇万円が相当である。
3 謝罪広告
前記認定の同一性保持権の侵害の態様に、今日まで原告の社会的な名誉声望を回復するために誠意のある措置をとっていない被告らの対応を考慮すれば、右2慰謝料の認容額を考慮しても、原告の社会的な名誉声望を回復するためには、被告らに対し、別紙謝罪広告目録(二)の「二 広告文」の項記載の内容の謝罪広告を、同目録の「一体裁」の項記載の体裁で命ずる必要が認められる。
一〇 結論
以上のとおりであるから、原告の請求は、被告らに対し、損害賠償金一五〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年二月九日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払い並びに右九3で認容する謝罪広告を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書き、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西田美昭 宍戸充 足立謙三)
別紙対照目録<省略>
別紙
謝罪広告目録(一)
私共が、制作し、昭和六二年二月九日午後九時から一〇時の間にテレビ東京(一二チャンネル)から放映した、テレビドラマ、
「ドラマ女の手記『悪妻物語?夫はどこにも行かせない!海外単身赴任を阻止せよ』」
は、貴殿が著作された『妻たちはガラスの靴を脱ぐ 第一話「目覚め」』(汐文社刊)を無断で利用し、その意に反して改変したものであって、貴殿の著作者人格権を侵害したものであり、多大の御迷惑をかけたことをここに深くお詫びいたします。
近藤晋
アイ・ヴィ・エス・テレビ制作株式会社
株式会社 テレビ東京
田中喜美子 殿
別紙
謝罪広告目録(二)
一 体裁
スペース
二段抜き左右一〇センチメートル
使用文字
「謝罪広告」との見出し 二〇級ゴジック
本文及び日付 一六級明朝体
被告ら名及び宛名の原告名 一八級明朝体
二 広告文(但し、日付は広告掲載の日とする。)
謝罪広告
私共が制作し、昭和六二年二月九日午後九時から午後九時五四分の間に株式会社テレビ東京が放映したテレビドラマ「ドラマ女の手記『悪妻物語?夫はどこにも行かせない!』」は、貴殿が著作された「妻たちはガラスの靴を脱ぐ」(株式会社汐文社発行)中の第一話「目覚め」を無断で利用し、その内容を改変したものでした。これにより、貴殿の著作者人格権を侵害し、多大の御迷惑をおかけしたことをここにお詫びします。
平成 年 月 日
近藤晋
アイ、ヴィ、エス、テレビ制作株式会社
株式会社テレビ東京
田中喜美子 様